北の海の航跡をたどる~『伏木・ウラジオストック航路航路』 中古車運搬船?『ルーシ』号
新航路開設
1992年(平成4)『コンスタンチン・チェルネンコ』号は、船名が『ルーシ』号へと変えられる。
同時に横浜・ウラジオストック航路が休止となり、
翌1993年(平成5)より富山県高岡市の伏木港からウラジオストックの航路が新設されることになります。就航船は、従来の『ルーシ』号でした。
またルーシ号の就航途中から僚船として『アントニーナ・ネジダノバ』号(4254㌧)も就航します。これは、中古自動車航送が急増しことが要因だと思われます。
航路変更の要因
横浜・ウラジオストック航路が休止され、伏木港からウラジオストック港へ変更された理由は、様々あると多いますが個人的には、2つの要因が考えられると思っています。
ひとつは、旅客の減少。以前のように船でナホトカやウラジオストックへ行き、そこからシベリア鉄道なり航空機でヨーロッパへ行くより旅行費用的に
成田から航空機で南回りや北京経由でヨーロッパへ行く方が格安だったことです。
要するに船で行くメリットがなくなったということ。
2つ目は、日本製中古車です。
富山県は、日本製中古車が集まりやすい港であったこと、また、ロシア人が経営する中古車の集荷・輸出業務を行う会社もあったことが考えられます。
当時、ロシア人に人気のあった日本製中古車は、寒さ対策がしっかりしていることや4輪駆動が多いなどがメリットのように思われますが、それ以上にロシア人が重要視したのが、融雪剤が撒かれた道路を行き来したことによる「車体の腐食」や「足回りの劣化」の方がロシア人の購買意欲に影響したと言われています。
そういう意味では、関西圏を中心に使用された中古車が富山には集荷されやすかったし、ウラジオストックまでの航海日数の短さ、そして輸出手続きのしやすさなどがありメリットはあったと考えます。
要するに運航会社である極東船舶公社(FESCO)は、ある意味、「ルーシ」号を“中古車運搬船“として使用する決断をしたと思います。
『ルーシ』号 RUS
「ルーシ」号は、週1往復で同航路に就航します。
僚船『アントニーナ・ネジダノバ』号
同航路には、ルーシ号と並び客船『アントニーナ・ネジダノバ』号(4254㌧)が就航します。
どちらかというとルーシ号は日本製中古車専用船としてアントニーナ・ネジダノバ号は、旅客専用と当初は考えられていたと思います。
しかし、日本製中古車の需要がロシアで高まるにつれアントニーナ・ネジダノバ号の甲板にも所狭しと車が積載されるようになります。
このことが、のちに悲劇をもたらす要因になるのです。
アントニーナ・ネジダノバ号の事故
2004年(平成16)伏木港に停泊していた時におりからの台風23号による強風で発生した高波を受け、同船は埠頭に左舷を打ち付けて深刻な損傷を受けます。その後、横転半没してしまいます。
乗員、乗客は無事でした。
事故の要因は、甲板にところ狭しと積み込まれた日本製中古車による重心バランスが悪かったとされています。
その後、中国にえい航され、解体されたと聞いています。
個人的には、小さな客船ですが、その白い船体のフォルムが好きでした。
ニワカ船員
私は、以前のように頻繁に本船に乗船することはなくなります。しかし、月に1〜2回は伏木港から“ニワカ船員“としてルーシ号やアントニーナ・ネジダノバに乗船していました。
新潟航路も存在したか?
記憶が定かでなく、また、手持ち資料がないので詳細は分かりませんが確か新潟港からウラジオストックも就航していた気がします。
それが定期運航かチャーター運航だったかは記憶がなく申し上げられません。
新潟港から何となく乗船した記憶があります。判明次第、追記したいと思います。
航路の休止
その後、日本最大の中古車輸出港といわれた伏木港からの日本製中古車輸出は、順調に推移していきますが、2009年(平成21)ロシア側が関税を引き上げたことで日本製中古車の輸出量は激減します。
これが要因の一つとなり「ルーシ」号による伏木・ウラジオストック航路は休止に追い込まれることになりました。