“たら“のはなし #2 『スケトウダラ』
荷台からスケトウダラを落としながら港を行き交う何台ものトラック。
行き着く先は、市内の加工場。これが昭和の時代、ソ連(現 ロシア)の200カイリ施行(1977年)前の稚内港の風物詩でした。そのトラックから落ちたスケトウダラを一心不乱に食べるカラス、それでも食べきれず路上に放置されたスケトウダラの臭い。私の半世紀以上前の思いでの一つです。
この「スケトウダラ」を元漁師で当時、仲買人をしていた父親は、スケトウダラではなく、「スケソ」と言っていたと記憶しています。
調べると、様々な名前で呼ばれているこの魚は、”足が早い魚”、要するに鮮度落ちが早いため、鮮魚として店頭に上ることはなく、魚卵と白子を取るためだけに乱獲し、身を捨ててしまっていた時代もあったそうですが、現在は、「すり身」の原料としてカマボコやチクワ、ハンペン、魚肉ソーセージなどに無くてはならない重要な魚となっていて、また、魚卵は、「辛子明太子」として九州の人気のお土産にもなっています。
いまや日本の”ソウル・フィッシュ”とも呼べる「スケトウダラ」。
この魚を前回の”ぽんタラ”に続いて少しだけ深掘りしてみました。
形態
魚体は、マダラに似ている点が多いが、細長くやせ型。眼と口は、大きく、下アゴが上アゴより突出している。下アゴのひげは、無いか、きわめて短い。背部は、灰白色がやや濃く、腹側は、銀白色で、体側に明瞭な黒褐色の不規則な斑紋がある。背びれは、3っ。
体長は、マダラに比べると小型。成魚は、メスで32~52cm、オスで30~35cm。4~5年で成熟する。成熟個体は、メスの方がオスよりも多い。
生態分布
スケトウダラは、北太平洋岸のオレゴン沖からアラスカ湾、ベーリング海、カムチャッカ半島周辺に広く分布。アジアでは、南は、朝鮮海峡に近い日本海側の南西部(山口県)以北、太平洋側では、およそ宮城県より北、そしてオホーツク海に分布している。
一般的に深海に棲息するイメージが強いですが、水深200~500mの表層から中層域にかけて幅広い分布を示しています。
産卵期は、12~4月で、稚魚は、沿岸域で過ごしますが、成長とともに沖合へと移動することが知られています。
スケトウダラは、海の中層に浮遊するアミ類(プランクトンの仲間)や軟体類、小型の魚類などを好んでエサとしています。
漁獲高
1970年代は、120万トン近く獲れたものの、200カイリ問題で遠洋漁業が急速に縮小し、近年は資源が減少し、年によっては、20万トンを割り込むこともあります。
2019(令和元)年の全国の漁獲高は、15.4万トン。このうち約94.9%が北海道近海で獲れています(2位岩手県2.3%)。圧倒的に北海道がトップで北海道を代表する魚の一つと言えます。
しかし、その内の約半分以上がロシアの200カイリ内ということで、最近、いろいろ厳しい環境となっています。スケトウダラは、年中漁獲されますが、主な漁期は、12月から4月頃です。
魚名の由来など
標準和名は、『スケトウダラ』(介党鱈)。しかし、以前は、あまり使われてはいませんでした。現在は、テレビや新聞紙上では、スケトウダラという名称が使用されることが多いようです。昔は、スケトウダラもマダラも「タラ」と言った地方が多かったといいます。
魚名には、諸説あり、また、地方でもその名称は多種多様です。その一部をご紹介します。
『スケトウダラ』(介党鱈)
江戸時代の天保時代、医師武井周作の魚鑑によれば、「佐渡金山に近い海で獲れる”スケトウ”という旨い魚がある。漢字で「佐渡」と書く。よって、”佐(すけ)”と”渡(と)”という」と記述されています。
このことから、タラを付けずに「スケトウ」または「スケトオ」と呼ばれ、産地の名称が、そのまま魚の名前となったとしています。タラの名前が付けられたのは、明治時代末期で、これは、当時の専売局の塩の奨励金がタラ漁にしか支給されなかったことから付けられるようになったと言われています。
漢字の「介」は、貝の当て字で、”とるに足りないもの”という意味です。
よって、「介党」とは、とるに足りない”タラの亜流”とも解釈もできます。
『スケソウダラ』(助宗鱈・助惣鱈)
この魚の正式名を「スケソウダラ」と思い込んでいる人も少なくありません。
これは、NHKが原因でした。太平洋戦争の終戦当時は、食糧難の時代で配給物資の情報をNHKが毎日、ラジオ放送していました。この時、NHKは、なぜか、「スケソウダラ」と放送しました。当時、耳からの情報収集手段しかなく、しかも、たった一つの放送局がNHKだったこともあり、その影響力は絶大で、以来、80年近くなる現在でも、この魚の正式名称を「スケソウダラ」と思い込んでいる人がいる理由なのです。
『スケソ』(助宗)
スケトウダラを「スケソ」(助宗)と言う人もいる。明治時代は、「タラ」で昭和30年代は、「スケソウダラ」、そして昭和40年代に「スケトウダラ」となったとも言われています。稚内で仲買人をしていた私の父は、このスケソという呼び方をしていました。
地方名・外国語名
北海道
「スケソ」「スケ」「スケトウダラ」
青森県市
「スケソ」、「スケソウダラ」「スケトウ」「スケショ」「スケショダラ」/津軽地方、「ポンタラ」/ 八戸市
岩手県
「スケソウ」/宮古市
宮城県
「スケソウダラ」、「スケソウ」、「キズネ」/気仙沼市、「ピンタラ」/石巻地方
福島県
「スケソウ」、「スケタラ」/いわき市、「ミズタラ」(幼魚)/いわき市
山形県
「スケソ」「スケソダラ」「スケド」
神奈川県(小田原)
「エゾイソアイナメ」
石川県
「スケソウダラ」
新潟県
「スケト」「スケトウダラ」/佐渡島、「ナツトウダラ」「ヨイダラ」
石川県
「スケソウダラ」
富山県
「キダラ」「キジダラ」「シラミダラ」「スカトウダラ」
兵庫県(但馬)
「スケソ」「スケトウ」「スケソウ」「ゲンソ」
京都府(丹後)
「スケソウ」「ズイボ」「ボウダラ」
島根県
「スケドウ」
長崎県・熊本県
「アラ」
中国語
「ミンタイ」(明太)、「ミンタイユィ」(明太魚)
韓国語
「ミョンテ」(明太)
ロシア語
「ミンターイ」
マックのフィレオフィッシュ
マクドナルドのハンバーガーで人気があり、ロングセラー商品でもある「フィレオフィッシュ」。このハンバーガーに使用されている白身魚は、何かご存じでしょうか?
正解は、「スケトウダラ」です。同社のHPによると1994年(平成6)までは、「タラ」を使用していたそうですが、それ以降は、アラスカのベーリング海で獲れたスケトウダラを使っているそうです。獲れたスケトウダラを新鮮なまま急速冷凍して、タイの工場でコロモとパン粉を付け成型し日本に届けられているそうです。
タラコと明太子
あつあつのご飯にタラコをのせておほばったり、日本酒の肴でタラコをつまんだり、また、パスタにあえるだけで簡単に美味しいタラスパができあがる。タラコは、魚の卵では、人気の食材です。
タラコの”親”は、スケトウダラ(タラではありません)。スケトウダラの卵巣を塩漬けにしたものです。
9割が海外産
50年程前までは、北海道でもスケトウダラがたくさん獲れて、国内で出回るタラコのほとんどは、北海道産の”原卵”でした。
しかし、現在は、約9割が海外からの輸入で、その大部分は、ロシアとアメリカからのものです。
海外産の原卵は、スケトウダラを獲ったあと、船上ですぐに卵(卵巣)を取り出し、冷凍保存するため、解凍する時に、どうしても鮮度が落ちてしまうというデメリットがあります。
博多の辛子明太子製造会社『福さ屋』(創業者は、礼文島出身の佐々木吉夫)は、創業者の北海道産の原卵で辛子明太子を作りたいという思いから『福さ屋 北海道原卵使用<無着色>謹製辛子めんたい』を販売しています。いわゆる”プレミアム明太子”といわれる最高級品です。
北海道産の原卵は、一度も冷凍されることなく新鮮なまま塩漬けされるので、味に臭みがなく、明太子本来のつぶつぶした食感を楽しむことができるとして人気だそうです。
呼び名
スケトウダラの子(卵)は、「タラコ」「明太子」「辛子明太子」など、いろいろな呼び方をされます。
北海道民は、スケトウダラのことを「スケソ」とか「スケトウダラ」と呼ぶので、その卵は、自然に「スケソの子」とか「スケコ」と呼ぶのが、私の幼い頃は、一般的だったと思います。
または、「紅葉子(もみじこ)」とも呼ばれ、当時、店頭では、円形の木樽中に綺麗に並べられて販売されていました。
最近では、スーパーや市場で、「タラコ」という表示が主流なようです。
タラコの歴史
タラコの歴史は、さほど古いものではありません。
大正から昭和の初め頃の北海道岩内あたりが発祥地だと言われています。それまで、スケトウダラの身を獲ったあとは、捨てていた卵巣を塩漬けにして売り出したのです。その時、一般に普及させるために付けた商品名が「紅葉子」「朝日子」でした。
一方、一貫して「明太子(メンタイコ)」と呼んでいるのが、九州地方です。ちなみに、福岡県博多では、辛子を使っていないものを「タラコ」、辛子調味料に漬け込んだものを「明太子」と区別する場合が多いようです。
この明太子の語源は、ハングル語の”「ミョンテ」(明太)の子”とされています。
塩漬けにしたタラコを唐辛子と調味液などで漬け込んだものが「辛子明太子」とよばれています。
唐辛子そのものは、200年ほど前に日本から朝鮮半島へ渡ったとされているように、朝鮮半島でもこの明太子を口にするようになるのは、18世紀以降のことです。
タラコは、北海道から南下、明太子は、九州の博多から北上し、全国区になっていきます。
「辛子明太子」生みの親 川原俊夫
この朝鮮半島に伝わる明太子料理を元にプサン(釜山)出身の川原俊夫(1913~1980)が「辛子明太子」を開発したのは、1949年(昭和24)です。
川原は、太平洋戦争前、電力会社の満州電気に勤め、終戦後、福岡市中洲で『ふくや』を創業します。同時に辛子明太子の販売を開始しますが、どうしても自分が納得いく商品(味)になりませんでした。
しかし、その状況が一変するのが、北海道産のタラコと京都産の唐辛子との出会いでした。
特に、北海道のタラコは、粒が大きく、しまりがありました。タレに漬け込んでも歯ごたえがあり、シャキッとしていたのです。
川原の功績は、企業秘密のタレを除き、辛子明太子の製法を公開したことです。特許申請を勧める周囲の声をよそに「単なる惣菜だから」と断ったのです。
その結果でしょうか、現在、福岡県の辛子明太子の専門業者だけでも200社を数えます。その味と価格を競い、市場規模は、現在、1200億円ともいわれています。
1993年(平成5)には、北海道産のタラコの生産量が、初めて福岡産の辛子明太子に抜かれています。その後、現在に至るも状況は変わっていないようです。
礼文島出身のアイデイアマン 佐々木吉夫
そして、もう1人、川原俊夫と並んで紹介したい人物がいます。
『福さ屋』の初代社長で北海道礼文島出身の佐々木吉夫(1933~2024)です。
佐々木は、1933年(昭和8)北海道礼文島の網元の三男として生まれます。彼は、15歳の時、「村を良くしたい。村長になるために学校へ行こう」と一大決心をして連絡船に飛び乗り、礼文島を後にして札幌の高校に入学します。しかし、父親に島へ連れ戻され、1年間、島で漁の手伝いをさせられます。
その後、札幌の姉の家に居候して高校へ通います。さらに、東京の中央大学法学部へ進学。在学中に国会議員(社会党参議院)の秘書を経て、1966年(昭和41)から妻の実家である北九州市に住み始めます。
1975年(昭和50)3月、新幹線が博多まで延伸され、九州のお土産として「明太子」が評判になり始めます。
佐々木は、1976年(昭和51)博多駅で食料品店「博多ステーションフード」を開きます。
彼は、タラコなら故郷礼文島の実家でも作っていたし、自分でもできると考えます。
しかし、タラコに唐辛子を混ぜ込めば良いものではなく、夫婦で約1カ月、挑戦しますが上手くいきませんでした。そんなさなかの1977年(昭和52)、ある明太子職人との出会いで一気に解決することになります。
そして1978年(昭和53)福岡で辛子明太子製造販売の『福さ屋』を設立します。屋号の由来は、福岡の「福」に佐々木の「さ」ととったものです。
納得のゆく商品は、出来上がりましたが、会社は、後発企業でしたので、どこにも売り場がなく、販路をどうするかという問題に直面することになります。
そこで、佐々木は、東京に活路を見出すことを思いつきます。
東京・有楽町の有楽フードセンターに狭いスペースを借りて明太子を直販売し始めます。その頃、銀座の並木通りに”明太子の屋台”を出します。
銀座のクラブ4000軒に毎日チラシを配ると、ホステスさんたちがお客様となり、また、ホステスさんのご常連にも高く買ってもらうことができたそうです。
その屋台を当時(1979年/昭和54)の老舗デパート三越(現 三越伊勢丹ホールデイング)の社長・岡田茂が見て三越・銀座店で販売しないかと打診します。”ドル箱だった屋台”を閉めるわけにもいかず、佐々木は、全国の三越で販売させてくれるならという条件を提示して了解を取り付けます。
結局、屋台は、45日間で閉めることになりました。
その後、『福さ屋』は、博多でも有数な明太子製造企業として現在でも人気ベスト5に入る会社となっています。
晩年、佐々木は、故郷・礼文島へ多額の寄附を行います。
島の子供たちの学校図書購入のため「佐々木文庫」を開設したり、映画「北のカナリアたち」のロケ地や宿泊施設「礼文番屋」の整備などにも使用されました。
彼は、これら島への功績が認められ2016年(平成28)「礼文町名誉町民」の称号を贈られています。
2024年(令和6)5月8日、佐々木は、急性心筋梗塞で死去します。
90年にわたる人生でした。
生前、ある新聞のインタビューで彼は、経営者を含む社会人に対して、次のような言葉を残しています。
「物事に感動し、人の話は、一生懸命聞く。誰にも不満はあるでしょう。それを満たすのは、自らの努力しかありません。やはり、今を最大に生きるということになります。」
佐々木は、一生懸命に働いて人一倍に努力すれば、必ず、それに伴って思わぬ人との出会いや運が味方してくれるとアドバスしてくれているのでしょうか。
スケトウダラの『白子』
北海道では、「スケトウダラ」や「マダラ」の”白子”(精巣)を『タチ』というのが一般的です。実家では、区別する意味で、スケトウダラのタチ、タラ(マダラ)のタチと呼んでいたように思います。また、タチという言い方の他に「タツ」とも言っていたような気がします。
スーパーマーケットや魚屋さんでは、スケトウダラは『助タチ』、マダラは『真(ま)タチ』と区別して表示・販売されています。タチは、乳白色で房状になっており、タラ科魚類の精巣の特徴的な形態です。
『タチ』の由来
「タチ」という名前の由来について資料(広辞苑)を調べると、”タツ”とは、「獣の内臓。狩人(ハンター)は、これを尊重して山の神に捧げ、また賞味する。タツ。」と記載されている。”タツ”という言い方もするのが分かりました。
産卵期のスケトウダラの腹を開くと白子があふれんばかりに飛び出し、いかにも獣の内臓にように見えるので、狩人(ハンター)が使う「タチ(タツ)」と同じ呼び方をしたのでしょう。
『タチ』の食べ方
スケトウダラの白子(タチ)は、普通は、汁物、実家では、味噌汁(ネギ入り)の具として食べていました。マダラの白子については、別途、発信したいと思います。「タチの味噌汁」は、北海道では、馴染み深い冬の家庭料理であり郷土料理です。
『タチカマ』
礼文島や利尻島など道内のマダラ漁が行われている地域では、タチを“かまぼこ“に仕立てる「タチカマ」を提供する居酒屋があります。
味噌汁の具や酢の物にしますが、個人的には、プライパンにたっぷりのバターを引いて表面をカリカリになるまでソテーしてワサビ醤油で食べるのが好きです。食感は、もちっとしていて、そして、プリッとしている、まさに“モチプリ“