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北の海の航跡をたどる~『小樽・利尻礼文航路』 #3 新造船おたる丸の就航

長年、島民に愛された『禮文丸』に代わり、航路としては、初めてとなる新造船『おたる丸』(初代・312㌧)が1956年(昭和31)に就航します。

島を支えた小樽・利礼航路

1964年(昭和39)5月、利尻町市街地の家々を焼き尽くした沓形大火では、小樽・利礼航路が物資輸送で町の復興を支えました。

また、かつては流氷によって稚内・利礼航路が欠航となることが多く、そのたびに小樽・利礼航路の存在がクローズアップされたといいます。

移動の足としては船が揺れて船酔いをするので敬遠されても、島民の生活を支える物資輸送路として「おたる丸」が就航していた頃は、航路が充実していた時期ともいえそうです。

焼土と化した沓形市街(1964年/昭和39年5月15日)

『おたる丸』Otaru-maru
・竣工 1956年(昭和31)9月5日
・総トン数 312㌧
・全長 37.0m
・全幅 7.6m
・航海速力 12ノット
・船室 2等8名 3等25名
・航路就航期間 1956年(昭和31)9月~1968年(昭和43)
※1982年(昭和57)にも『おたる丸』が就航します。こちらは、”おたる丸(2代)”と呼ばれています
※1968年(昭和43)佐渡汽船へ売却。こしじ丸(2代)へと船名変更
※1974年(昭和49)粟島浦汽船へ売却
※1983年(昭和58)廃船

「おたる丸」と艀(利尻島・1957年/昭和32年)当時の寄港地は港湾施設が脆弱で船は沖合に停泊して艀や伝馬船を用いて港と本船との間を行き来した

参考・引用文献
・論文「利尻島における社会資本整備史の視角からみた漁業集落の要素連関構造」2010年9月 沿岸域学会誌 第23巻第1号
・「なつかしい日本の汽船」
・Wikipedia
・佐渡汽船ホームページ


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