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国際・国内航路の''二刀流''『アインス宗谷』

1997年(平成9)利礼航路に就航するも1999年(平成11)5月より稚内〜コルサコフ(日本名 大泊)に戦後初となる日本船による定期航路に就航。1945年(昭和20)8月、『宗谷丸』稚泊航路最終船として大泊港(ロシア名 コルサコフ)から稚内へ戻ってより53年ぶりの復活となった。『アインス宗谷』は、稚内〜コルサコフ間159kmを片道5時間30分で結んだ。
”アインス”とは、ドイツ語で”1番とか最上級”という意味である。

『アインス宗谷』は、流氷域を航行することを想定し『バスバス・バウ』(船の造波抵抗を打ち消すために吃水線下の船首に設けた球状の突起)の上に“アインスナイフ(アインスカッター)”が設置された。

サハリン航路は、サハリン2プロジェクトや貨物やビジネスマン、観光客の利用が見込まれたがプロジェクトがある程度、落ち着いてくると貨物の減少や観光客の伸び悩みなどがあり、2014年(平成26)9月、運航会社は、サハリン航路からの撤退を表明。17年間の航海に終止符を打つことになった。

『アインス宗谷』は、サハリン航路から撤退後、海外へ売船された。

EINS  SOYA

『アインス宗谷』(新造船)
■総トン数 2267トン
■全長 76.7m
■全幅 14.5m
■航海速力 17.1ノット
■車両積載能力 8㌧積トラック 18台
■旅客定員 ①国際航海223名 ②国内航海(夏期以外)386名
      ③国内航海(夏期)620名
■就航 1997年(平成9)6月
■退役 2016年(平成28)2月

「アインス宗谷」竣工記念カード/内海造船㈱発行
一般配置図
一般配置図
サハリン・コルサコフ港に停泊中の「アインス宗谷」。クレーン2機がある場所に稚泊航路時代の『大泊港駅』があった
サハリン・コルサコフ船に”縦着け”される「アインス宗谷」。民間の船では、縦着けされることは珍しいと当時、聞いていた。軍用艦など緊急性がある船舶の停泊方法だと。縦着けは、船長の技量が要求されるらしい。当時の「アインス宗谷」の船長は、難なく停泊させていた。
サハリン・コルサコフ港の桟橋には稚泊連絡船運航当時の線路が敷設されている。
サハリンより稚内港へ戻った「アインス宗谷」。船長を始めとする乗組員には国際航路に携わることで国内航路では感じることがないプレッシャーがあったと聞いたことがある。船長は当然、船を無事に稚内へ戻す全責任を負っていた。それと同じくらい機関長など機関部員も緊張する航海を体感していた。もし機関が故障した場合、ほとんどロシアでの修理は不可能であった。その為にもエンジンの調子には最善の注意を払っていたのだ。
「アインス宗谷」船内では、缶ビールが100円で販売されていた。缶コーヒーよりも安かった。乗船客に大人気を博した。
稚内港の国際フェリーターミナルに停泊中の「アインス宗谷」

上記のYouTubeは、「アインス宗谷」が5月にコルサコフ港へ航海中に”アニワ湾”にて流氷帯に遭遇した際の映像記録である。船長の判断が迫られ緊迫感した状況がわかる。

2015年(平成27)9月をもってサハリン航路を撤退。17年間の運航に終止符を打った
「アインス宗谷」は、フィリピンのフェリー会社「Cokaliong」へ売船され、現在、「Filipinas Jagna」と船名変更され活躍している。

参考・引用文献
・ハートランドフェリー船舶表
・ウィキぺディア
・FleetMon

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