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島民に愛された『第二東洋丸』

1933年(昭和8)利尻島に「丸一水産株式会社」(現・ハートランドフェリー)が設立され貨物や旅客の輸送を始めます。
その時に就航したのが「第二東洋丸」(83トン)。同じく「第一東洋丸」(34トン)も運航を行います。
「第二東洋丸」は、戦前・戦後を通じて長きに渡り利礼航路に就航し島民に愛された船です。

主に利礼航路(三角航路)・乙線(稚内~船泊/礼文島~沓形/利尻島)で使用された船で、シケ(時化)ると船底にある客室には、たびたび、海水が侵入したこともあったようです。

当時の稚内・利尻島・礼文島間の航路図
第二東洋丸(TOYO MARU No.2)1963年(昭和38)4月/利尻島

■総トン数  83トン
■機関  焼玉90馬力(焼玉エンジン)
■旅客定員  50名
■進水 1933年(昭和8)8月10日
■就航 1933年(昭和8)10月
■改造 1944年(昭和19)/ 1963年(昭和38)
■退役 1965年(昭和40)12月

Episode
1940年(昭和15)神武天皇即位から2600年目にあたる『紀元二千六百年』記念行事の一環として、道庁・小樽新聞社主催で聖火継走(聖火リレー)が行われています。当時の鴛泊村で7月1日に利尻山神社にて聖火継走修祓式(しゅうばつしき)が行われ翌日にかけて島内をめぐり、午後4時に聖火は『第二東洋丸』で稚内へと引き継がれました。

”聖火”が第二東洋丸で稚内港へ運ばれる~鴛泊港(写真出典:広報りしり/1979年9月号)

参考・引用文献
・風土記 稚内百年史 野中長平 著 1977年
・広報りしり 1979年9号 利尻町発行
・広報りしり 1985年12月号 利尻町発行
・広報りしり富士 2020年 新年号 利尻富士町発行
・利尻を想う 武田豊作 著 1982年
・ハートランドフェリー ホームページ

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