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稚内が最も輝いていた時代の写真が発信されています。
私は、数年前より「note 」というアプリ、難しい言葉で言うと「メデイアプラットフォーム」というそうですが、これを利用して自分が関わってきたことを発信してきました。
そんな私の拙文にNorisさんという方が、先日、スキをしてくださいました(Facebookでいえば、いいね!)。
Norisさんのnoteを拝見すると、お父さんが撮られた白黒写真をデジタル化して発信しているのが分かりました。
Norisさんのお父さんは、元国鉄マンでSL(蒸気機関車)の機関助士やデイーゼルカーの運転士、そしてJR時代は、東海道線の運転士もされていた方のようです。
1960〜90年代は、「稚内機関庫」にお勤めだったようで、当時のSLなどの車両や転車台などの貴重な写真が正に“めじろおし“です。残念ながら、廃止が決まった「抜海駅」の写真もありました。
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私にとって鉄道関係の写真も大変、懐かしいものですが、同時に写り込んでいる稚内の街並みの写真にとても郷愁を感じました。
当時の稚内は、200カイリ問題が発生する直前で、“稚内が最も活気があった頃“です。
発信されている写真は、どれも“玄人はだし“の作品ばかり。
出来るならば、取りまとめて写真集を発行したり、パネル展を開催したりして、もっと広くNorisさんのお父さんの写真を稚内に縁のある方々に見て頂きたい(勝手な言い方ですが。。。)。
特に後輩である稚内高校の生徒さんに見てもらい、毎日、通学路から望める稚内の風景がどのように変わったのか、街の歴史を感じてもらいたい(通学路から撮った写真がたくさん掲載されています)。
そして、鉄道を愛する方々にも、普段、あまり発信されることが少ない「最北の鉄路」の歴史の1ページをご覧頂きたい。
これから、どんな写真が発信されるのか、元稚内市民としてドキドキしながら待ちたいと思います。