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最大級の木造船『利禮丸/第二利礼丸』


父の高校卒業アルバムにあった『利禮丸』時代の写真(RIREI MARU)
1944年(昭和19)2月に『第二利礼丸』(RIREI MARU No.2)に船名が変更されます

終戦の翌年、1946年(昭和21)、稚内利礼運輸と同じく香深協同廻漕店が結成され、稚内を起点とした島とのアクセスが充実されます。
航路には、『第二利礼丸』を始め、『第二東洋丸』『第五東洋丸』が毎日就航することになります。

利禮丸/第二利礼丸
■総トン数 125トン
■馬力 320馬力
■旅客定員 73名
■就航 1943年(昭和18)
■船名変更 1944年(昭和19)2月 『第二利礼丸』へ船名変更
■退役 1965年(昭和40)

左手:第二利礼丸 中央:第五東洋丸/稚内港(昭和20年代?)
写真右端に稚泊航路で使用された「稚内桟橋駅」が確認できます
船名の文字に”昭和の雰囲気''を感じます/香深港(礼文島)
船体中央部にある”穴”は何だろうか。小荷物を出し入れする場所なのか。。。
木造船の深いあじわいが感じられます
 航路において当時、”最大級の木造船”でした
入港時、船首部分で”スタンバイ(着岸準備)”するのは、今も昔も同じですね
船の遭難時に使用するのが「救命いかだ」(現在のフェリーにある”俵型の白色の設置物”)
しかし、当時は、まさに”救命ボート”だったことが写真からわかります。
また、当時から”紙テープでの見送り”が普通に行われていたようです。
乗客と見送り人が近すぎます。”別れの情緒”がないような気がしますが。。。/鴛泊港(利尻島)
”昭和の良き時代”を彷彿される丸みを帯びた船尾部分。ここから見る利尻山の姿は、また、格別だったはず。「第二利礼丸」なかなか、カッコいいフォルムだと思います
荒波を越えて島へ向う「第二利礼丸」/ノシャップ岬沖

参考・引用文献
・広報りしり 1979年9月号 利尻町発行
・ハートランドフェリー船舶表

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