第二東洋丸と航路を支えた『第五東洋丸』
『第五東洋丸』は、戦中から戦後にかけ『第二東洋丸』と利礼航路を支えました。戦後、利礼航路・丙線(稚内~鬼脇(利尻島)~仙法志(利尻島))を中心に活躍します。
Episode
1955年(昭和30)1月、『第五東洋丸』は、礼文島・香深港100m沖合で「浮流RMー3(Russian Mine/ロシア製機雷)を発見、その後、当局によって処理された。戦後10年経過しても当時は”戦争の遺物”が海上を漂っていたことになります。
『第五東洋丸』は、戦中から戦後にかけ『第二東洋丸』と利礼航路を支えました。戦後、利礼航路・丙線(稚内~鬼脇(利尻島)~仙法志(利尻島))を中心に活躍します。
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1955年(昭和30)1月、『第五東洋丸』は、礼文島・香深港100m沖合で「浮流RMー3(Russian Mine/ロシア製機雷)を発見、その後、当局によって処理された。戦後10年経過しても当時は”戦争の遺物”が海上を漂っていたことになります。