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北の海の航跡をたどる~『稚泊航路』#8 北海の女王~『亜庭丸』の就航

プロローグ

稚内港と大泊港を隔てる宗谷海峡と亜庭湾。
この北の海を通年運航するためには、流氷に対する備えがかかせませんでした。

しかし、初期の「壱岐丸」「対馬丸」の砕氷設備といえば、船首に傾斜を持たせ、鋼材で補強しただけの粗末で簡易的なものでした。

技術革新が求められていましたが、当時の日本では”未知の領域”でした。

こうした期待に応えて誕生するのが『亜庭丸』(3297㌧)です。

船首と船尾にタンクを設け、その水を交互に入れ替えてピッチング(上下の揺れ)しながら進む本格的な砕氷船でした。

亜庭丸が田村丸よりバトンタッチされ就航するのが1927年(昭和2)12月8日、日本で初めての画期的砕氷船であったのと同時に3000㌧を超す新造船の登場は、稚内、樺太の住民にとって稚泊航路開設時にも勝るとも劣らないものだったのです。

建造を担当したのは、神戸製鋼所播磨造船所。建設費は、当時の金額で116万4000円。

鉄道省がこれだけの巨費を投じた背景には、この頃、樺太渡航者が1日500名、貨物100㌧程度に達しており、壱岐丸、田村丸の能力では、対応しきれなくなりつつあり樺太開発上、早急なる新たな船の就航が望まれていたなど稚泊航路の目覚ましい発展があったことは否定できません。

建造中の亜庭丸(1927年/昭和2年)
亜庭丸の進水式

稚内、樺太住民の歓迎

亜庭丸は、1927年(昭和2)11月25日に竣工。12月4日、その巨体を稚内港に現します。

途中、猛烈な吹雪に遭遇。そのため利尻島鬼脇港に避難したあと1日遅れの入港でした。

同日13時から盛大な披露式が行われます。翌5日は一般見学のあと、22時に大泊へ向け出港し6日7時に大泊突堤わきに投錨。

大泊港を出港する亜庭丸

亜庭丸は大泊のみでなく、樺太全島民にとっても”待望の船”であり、大泊町長は、「(亜庭丸就航で)偉大な海の革命が実現し、亜庭丸就航は樺太にとって絶大の恩寵(めぐみ)である」と島民の気持ちを代弁するスピーチを行なっています。

6日の大泊は、6時に号砲を打ち上げて、入港を町民に知らせ、投錨し終えるまで連続して花火をあげ、ランチ(はしけ)は満船飾をほどこし入港を歓迎。

船内には、亜庭神社の分霊を移し盛大な遷座式をおこないます。7日、一般参観も行われています。

”北海の女王”の船出

12月8日、亜庭丸は大泊発第2便として宗谷海峡の航海を始めたのです。
『北海の女王』の処女航海です。

亜庭丸

『亜庭丸』Aniwa-maru
・総トン数 3297㌧
・全長 99.78m
・全幅 13.11m
・旅客定員 1等18人/2等102人/3等634人
・乗員定員 92人
・貨物積載量 470㌧
・最大速力 16.41ノット
・竣工 1927年(昭和2)11月25日
・就航 1927年(昭和2)12月8日
・沈没 1945年(昭和20)8月10日 
青森県茂浦沖で米軍機の攻撃を受け炎上後沈没

※船体の鋼板の厚さは2.5cm(初代南極観測船「宗谷」も同じ)

船内

船内の装飾は、外航船の豪華さで出入口ホールと談話室はアール・ヌーボー式で曲線美のカーブの壁面を青みがかったグレー色に塗装してありました。

階段の反対側には鮮やかな紅葉の油絵が掛り、喫煙室は、しぶい色合いのジャコビアン式で革張りの椅子にイミテーション暖炉があり、絹付きのキャンドル・スチックが壁面からでていました。

その優美な姿や内装は、『北海の女王』の名にふさわしく、うらぶれた北の果てを想像して初めて樺太を訪れる者たちの目を奪っていたといいます。

やがて1945年(昭和20年)8月、樺太からの引揚者の緊急輸送が始まってから関係者が一様に口にしたのは、「こんな時、亜庭丸がいてくれたら」という言葉でした。

樺太に新地天地を求めて移住してきた者たちは、「いつの日か、亜庭丸で郷里に錦を飾りたい」という思いを、心のどこかに仕舞い込んでいたのです。
いうなれば、「亜庭丸」は、樺太移住者にとって見果てぬ夢でもあったともいえます。

豪華な船内

レストランは、周囲に大きなガラス窓を設け、壁張りには、青磁色の絹サテンを用いて、中央サイドボードは繊細な彫刻を施したものであり、食卓は家族的会食に便利なように6人・4人・3人テーブルが各2卓ずつ配列してありました。

船内レストラン(食堂)

船室

1等船室
3人用船室が6室あって、各室に2段ベッドとソファーを1個配置。ソファーはベットとしても使用できました。

2等船室
雑居室と寝台室がって、雑居室は室内を4区画に分け、畳の上にカーペットを敷いて広々としており、寝台室は雑居室の前方にあって2室に分かれ、各室には2段ベット7個とソファー2個を備えていました。

2等船室

3等船室
中甲板に1室、下甲板に2室があり、仕切りのない畳敷きの雑居席は従来の蚕タナ式2段雑居タナとは比較にならないほど清潔なもので、旅客サービスとして3等船室の各室には、お茶沸し器が設置されていました。

3等船室

Episode #1 ~千歳丸を救助

1930年(昭和5)3月8日、20時頃、近海郵船会社所有の千歳丸(2668㌧)が宗谷沖で氷盤に乗り上げ、翌9日14時頃まで洋上を漂流しているのを航海中の亜庭丸が発見し無事救出します。

千歳丸(2669㌧)

Episode #2 ~利尻・礼文島へ回遊輸送

1930年(昭和5)7月3日、亜庭丸が函館ドックに入渠し、修理工事が完了して稚内港に回航の途中、小樽より北海道内の有志(69名)を乗船させ、船内設備の紹介を兼ねて、利尻島・礼文島を回遊しました。

Episode #3 蒸気エンジンをフル稼働 

1930年(昭和5)11月1日、稚内として3度目の大火に見舞われます。出火は、北浜通り5丁目の南旅館からでした。夜の8時15分頃と言われています。亜庭丸が大泊港を出港したのが夜8時50分頃のこと。

「稚内で大火発生!」と無電が入ります。夜間航行ですので船が稚内へ近づけば近づくほど火柱が立っているのが見えたといいます。

亜庭丸は点検整備が終わって、すぐの頃で6000馬力のエンジンにひと航海18トン積載している川上炭鉱(現 シネゴルスク)の石炭を焚きながら、2基の蒸気エンジンをフル稼働させて、通常8時間で戻るところを5時間で稚内港へ入港したそうです。

家族が逃げ惑う姿を想像すると稚内の乗客を早く帰すために船長を始め乗組員が必死に操船した証です。

北浜通り3丁目付近(出典 京都大学付属図書館所蔵)

Episode #4 ~夏の利尻めぐり納涼船

1935年(昭和10)7月、稚内運輸事務所では、「夏の利尻めぐり納涼船」というツアー名で利尻周遊団を募集。札幌、小樽、旭川およびこの沿線からの旅客500余名と稚内在住の旅客約100名がこれに参加。

一行は、同月27日、亜庭丸に乗船、鴛泊、鬼脇に向かい、その日は、鴛泊、沓形、鬼脇の3ヵ村に分宿。翌28日は回航の宗谷丸で稚内に帰着します。

稚内運輸事務所としては最初の催しであり、しかも、利尻島にこうした大きな団体は初めてのことであり非常に好評を博し、盛大であったと大いにアピールしました。

Episode #5 ~炭鉱労働者の転換輸送

樺太・恵須取の炭鉱労務者を内地へ転換輸送のため亜庭丸が1944年(昭和19)8月24日から9月17日までの間、恵須取・稚内間を9回臨時輸送を行っています。1944年(昭和19)以降、樺太の上質な石炭をいくら掘っても、その石炭を内地から取りに来るすべがありません。

岸壁には石炭だけでなく、当時の日本国内の新聞50%が樺太産パルプだったのでロールごと野ざらし状態でした。

それで炭鉱で働いていた人だけでも内地へ移動させて石炭を掘ってもらうことになったのです。

■輸送内容 炭鉱労務者及びその家族7334人/貨物212㌧/手荷物7171個

大平炭山露天掘り風景(恵須取)

エピローグ~亜庭丸 沈没

1945年(昭和20)6月20日頃、亜庭丸は、中間検査工事のため函館船渠株式会社に回航、修理を開始していたが、北海道と本州の交通分断を狙ったアメリカ機動部隊は、7月14日に青函航路に集中攻撃をかけ、その余波は亜庭丸にも及びます。

しかし、大きな被害は受けることはありませんでした。しかし、この攻撃により青函航路は全滅したので、亜庭丸は工事を繰り上げ、7月23日から青函の輸送確保のために運航を始めます。

運航からひと月もたたぬ8月10日青森県茂浦島沖に投錨避難中、アメリカ軍艦載機の攻撃を受け19時30分頃、沈没します。

稚内や樺太のほとんどの関係者は亜庭丸が沈んだことは知りませんでした。

戦後の1948年(昭和23)、船体救助を試みたが使用不能と判断され、のちに解体されました。

元亜庭丸の乗組員の手記が残っています。彼は戦後、亜庭丸の調査の為、沈没場所を訪れており、その際の心境が綴られています。

「投錨位置で約80度に傾斜沈没した亜庭丸の横腹を目前にして、涙がとめどなく溢れ出るのを防ぐすべもなく、男泣きに泣いたものでした。

あらゆる意味において私とともに生きて活躍した亜庭丸に永遠に眠れと祈らずにおられませんでした~後略~」

太平洋戦争が終戦を迎えるのは、亜庭丸が沈没してから5日後のことです。


参考・引用文献
・「北海道鉄道百年史」 日本国有鉄道北海道総局 発行
・「稚泊連絡船史」 青函船舶鉄道管理局 発行
・「稚内駅・稚泊航路 その歴史の変遷」 大橋幸男 著
・「サハリン文化の発信と交流促進による都市観光調査 調査報告書」
・「風土記 稚内百年史」 野中長平 著



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