コミュニケーションでお互いは変わる~人間関係の豊かさに向けて~

自分の認識や感情を相手に伝えるのがコミュニケーションであるという「伝達型」の考え方に対して別の意見がある。
たとえば、車でドライブしているときに、運転をしている男性がいて、その隣の席に恋人が座っている。
海が見えてきたときに、彼女は「海・・」と いって車の窓ガラスを開けた。
彼女は何かを伝えたかったとは限らない。
海が近づいたことで、窓から磯の香りを車内にいれて、「海・・」と言葉を発しただけだ。
これは言語的にも、非言語的にもコミュニケーションとしては不完全なものだと思う。
しかし、ひょっとしたら、彼女は、彼の心の中では海のことなど気づかずに、目的地に急いでいたのだと考えて、その心の世界に「海」をクローズアップさせてあげたかったのかもしれない。
ここから、彼が二人の海での楽しかった思い出を振り返るのか、これから景色を楽しんで運転しようとするのか、彼女が何か会話をしたかったのかと考えて次の言葉を発するのか、あるいは、言葉ではなくて目配せや笑顔が返ってくるのか。
彼のこのような不確定な反応のどれかを導き出すことになったときに、彼女は「自分の情報がうまく伝わらなかった」と悔やむことはない。
なぜなら、職務上の伝令や契約などの交渉と違って、普段の会話では、このようなやり取りを楽しむのがコミュニケーションだからである。
一般的にはコミュニケーションは、伝えた内容を相手がどのように受け取ったかを推測して、そのフィードバックによって、より正確に情報を伝えるようにしていくのだと言われている。
しかし、人間関係を深めていく対話とは、相手の心に変化を起こしたいという動機から「相手の心の中という泉」に小石をなげてその波紋を見るような側面が強いのではないだろうか。
何を伝えているか、それがうまく伝わっているかではなくて、こちらの言葉や態度で相手の心にどのような影響を与えているのか。
逆に自分の心は相手の言葉や態度どのように影響をうけて変化しているのか。そこを大切にしている関係。
ここには、自分はこう思っていたのに誤解されたとか、相手は本当は何を考えているのか分からないが、自分は確かにこう思ったという擦れ違いの問題よりも、お互いに関わり自体を楽しむ姿勢が明白になっていくように思う。
この考え方を阻むのは、「変わらない自分」を保存しておきたいという自我の防衛であると私は考えている。
お互いが変わらないのだから、「情報」がやりとりされているだけだと言い聞かせるのだ。
しかし、私たちは、日々、心の中の世界を変えていっている。
月をみて心が静かになった、鳥の鳴き声で愉快になった、台所からのカレーの香りが食欲をそそった・・というふうに、私たちの心は外界との関わりの中で豊かに変化している。
流れゆく雲の姿に心を遊ばせたとすると、私の心にはその雲はなくてはならないものになったのである。
だから、目の前の相手が語り、動き、態度を示していることで、自分の心の中もまた豊かに変化していくし、自分の言葉や態度もまた、相手の心の中を変化させていっている。
この相互作用が続いていることが人間関係の豊かさだと思う。
勇気をもって相手に何かを表現してみよう。
そして、相手の表現を素直に心に映してみよう。
もちろん、組織論としてはリーダーシップの考え方や、相談、連絡、報告などの秩序維持の方策も重要であるが、人間関係の豊かさでは、上記のような視点を素直に取り戻していくことが重要だと思っている。
自分の考えが本当に分かってもらえたかどうか、相手が何を伝えようとしているか、それを固定したものと考えて、疑心暗鬼になったり、勇気をなくしたりするのではなくて、「関わり自体」を豊かにしていくことの中でお互いに見えてくる、お互いの人間性を大事にしていきたいので ある。

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