無題

ジョンが出会った読者たち【最終回】

5年7カ月ありがとうございました!

★この連載は、ごく普通の会社員である僕の携帯番号を誌面に載せ、それを見 て電話をかけてきた読者との間に生まれた交流を記したドキュメンタリーです。個人情報をひた隠すこの時代だからこそ、逆に晒け出したほうが面白いことが起きるんじゃないかと思ったし、そもそも、どうせかかってこないだろうとも思ってました。ところが思わぬ方向へと話は転がってゆき、気づけば僕の人生の一部に。そんな約5年7カ月にわたって続いたこの旅も、今回でいよいよおしまいです。

文/ジョン・ヒロボルタ


群馬の高校生たちと暴れた初期


『フェスボルタ』が軌道に乗って以降、このページはフェスボルタ紹介ページと化しておりましたが、本来はブロス読者との交流ページでした。最初に電話をくれたのは、熊本在住のキクボルタさん。今でも彼女のことをふと思い出します。その後、このページはゆるやかに読者の皆さんとつながっていきました。
 最初の大きな山場は、群馬県の美術部の高校生たち。フレッシュな若者たちからの電話につい嬉しくなってしまった僕は、思わず先生気分で(学生時代は教員を目指しておりました)勝手に原宿のギャラリーを押さえ、いきなり誌面に「個展をやるから、絵を送れ!」と掲載しました。当然ながら高校生たちはビビってしまい、結果、彼らの親御さんたちも巻き込んで個展を開催。かなり無茶なことをしてしまいましたが、今となっては良い思い出です。
 中でも一生忘れることができないのは、やはり「うんこ絵の具事件」ですね。茶色の絵の具を、自分のうんこで作った絵の具と差し替えて高校生たちに渡して、絵を描いてもらったという一件です。後日、誌面でネタバラシしたところ、ツイッターでもリアルでもボコボコに叩かれました。その行為を絶賛してくれた編集木下さんは、その後、手のひらを返したかのように「ジョンさんはマジで〇〇〇〇なんすよ。絵の具製造機なんすよ」と悪意ある形でいろんな人に伝えています。できれば忘れたい過去なので、これ以上は勘弁してください…。

埼玉の風雲おじさん、スプリガン


 そんな僕と高校生との交流に突如、割って入ってきたのが、埼玉のマジキチおじさん・スプリガンボルタです。彼とは何度メールや電話を交わしたことか。高校生たちとガチ喧嘩を誌面でおっぱじめるし、あまりに独特でゾワッとするイラストを何枚もいただきました。頼んでもないのに。
 彼とは何度かリアルでもお会いしたのですが、初めてお会いしたとき、たまたま店内のBGMがトランス系の音楽だったせいか、スプリガンさんは突然、発作を起こしてぶっ倒れてしまいました。救急車は呼ぶなと彼に言われたのですが、そういうわけにもいかないので交番に連れていきました。また、彼以外にも、不在着信をかけ直したら40分くらい「自作の一寸法師」を語る方もいて、この頃はただただ恐怖だったのを覚えています。
 一方、この連載のおかげで、小6ボルタさんが京都の町家を借りてやった『関西ボルタ展』など、いろんな場所に行くことも増えました。今では僕の弟子となっている・みやまるボルタや、いつも北海道からハイヒールサンダルで駆けつけてくれる男性・コンボルタさん、そして群馬の高校生の実の姉・ゆめたむボルタとリアルでつながったのもこの頃です。
 そしてそんなタイミングで「ジョンさん、フェスをやりましょう」と勝手にライブハウスを借りたキネボルタから電話があり、これがフェスボルタになっていきました。「集客のために」とキネボルタが言うので、自腹で数万円出して埼玉スーパーアリーナのイベントにフェスボルタのブースも出店しました。が、お客さんはほぼゼロで、来てくれたのはスプリガンのみ。散々な結果でした。しかし、あの頃の無鉄砲さは嫌いじゃありません。むしろ好きです。

人生の事実は、小説よりも奇なり


 5年7カ月も経てばいろんなことが変わります。この連載のきっかけとなった中国人の友人は他界しました。群馬県の美術部の高校生たちは大学生になりました。スプリガンさんは一度連絡が途絶えたものの、最近復活しました。高校生たちとの個展時代から来ている中3ボルタは、渋谷WWWでワンマンライブをする人気シンガーソングライター・シバノソウになりました。キネボルタはWWWの大きなステージで、彼女のバックバンドを務めていました。
 フェスボルタも、今や500人規模の街フェスです。先日、フェスボルタ出演者によるコンピアルバム『フェスボルタ・ナウ』を出したのでヴィレッジヴァンガードに行ってみたら、POPに大きくあの字体で「090−6143−2407」と書いてありました。いやはや本当に“事実は小説よりも奇なり”です。


▲ヴィレッジヴァンガード名古屋中央店にて。

 と、同時に、寂しさも襲ってきました。ああ、この番号が僕の手から離れていったんだなあと…。僕にとって携帯電話は、雑誌の向こう側へ移動するためのツールでした。しかし今では、その雑誌の向こう側でみんなの合言葉のようになっています。あの時、この番号を載せていなければ、この向こう側の人たちとはきっと出会えていなかった。30歳を過ぎてからそんな「トモダチ」と呼べる人たちをたくさん作ってくれたこの番号に感謝しています。
 ひとまずブロスではこれでお別れになりますが、これからも電話一本で誰でも出られる形式でフェスボルタは続けていきます。


というわけで次回フェスボルタ
7月15日(日)に開催します!!!


今後、詳しい情報はフェスボルタ公式サイトと、公式ツイッター、及び僕のツイッターで発信していきます。もちろんこれからも僕の番号はフルオープンですので、

090−6143−2407

出たい方はこちらまで。それでは、雑誌の向こう側で待ってます!

(完)

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