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勉強机の鍵付きのところ

12月の初旬。日に日に日照時間が短くなるこの季節は得意じゃない。
毎年今年こそは元気に過ごせるはずだとかいう謎の暗示を自分にかけては応えられない己に落ち込むから、
もう今年はこのセンチメンタルを真正面から受け止めて生きていこうと諦めることでやり過ごそうとしていた。
そんな日々の中僅かな太陽が照っている間にひとつの小包が届いた。
この中身が何なのかはだいたい予測がつく。きっとクリープハイプの新しいアルバムだ。
私は心に決めていた。このアルバムを最初に聴くときはサブスクではなくCDプレーヤーで再生することを。
やるべきことたちを急ぎ足で片付けてから慎重に袋を開封する。
もうとっくに日が暮れたこの時間にチカチカと眩しいアルバムが顔を覗かせた。
まるで何かの儀式のように、机の上にプレーヤーを置いてカチッとはめたことを確認して再生ボタンを押す。
この季節の夜の静寂は苦手だけど、今宵は賑やかだ。ヘッドフォンの中からは、世界で一番大好きなバンドが新しい音楽を届けてくれる。

なぜこんなに前置きを長くしているのかというと、〝こわい〟からだ。
新曲を出すたび、ライブに行くたび、楽しみで仕方のない気持ちと相反して
いつか好きだと思えない自分が来てしまうのではないだろうか。という気持ちも膨らんでくる。
そんな日がもし来たらと思うと心が破裂しそうだと思う程、大切な存在になっている。

クリープハイプを好きになってから10年以上が経過した。
高校生だったあの日から今では随分と大人になり、自分自身がどんどん変化してゆくのを肌で感じる。
もしも好きと思えなくなってしまったときは、大好きだからこそ無理して好きだと言いたくない。
昔は考えもしなかった。歳を重ねることで、そんな不安もどこか抱くようになった。
こんな気持ちを抱えながら初めて聴いた時の頃を思い出しながら印象に残った曲を情景と共に記録していく。



一曲目。【ままごと】
まるで小学校に入学したときに配られていたさんすうセットみたなフォントだなとか歌詞カードを見て思ったのはこの曲のタイトルがそれを彷彿とさせたのかもしれない。
前奏もなく始まったフレーズとメロディを聴いた頃には、もう大丈夫になっていた。
ああ、これは紛れもなくクリープハイプだ。
クリープハイプの音楽だ。
こうして安堵した人は、私以外にもいるのではないだろうか。
私が前置きで述べたような大人と子どもの間でせめぎ合う感情すらも見透かされているような気がしてきた。
まだ一度しか再生してないのに最後のサビは一緒に口ずさめるようになっていた。



四曲目。【生レバ】
きた。クリープハイプの赤い曲だ。私はクリープハイプのライブに行った時に赤いスポットライトが当たるような曲が大好きだ。Aメロから勝負しに来ている気迫を感じる。だけどサビの歌詞がわからない。そういったふくみを持たせているところは新鮮だ。鮮度がいい生レバ。そんなことを考えながらワクワクしていたらあっという間に曲が終わった。色んな場所でこの曲を生演奏で聴きたいと思った。



八曲目。【星にでも願ってろ】
これはアルバムの中には必ず1曲入っているカオナシさんの曲のターンだ。
尾崎さんの曲はもちろんだけれど、また一味違うスパイスのようでどこか妖の異世界に飛ばしてくれるようなカオナシさんの楽曲もファンの人達なら皆楽しみにしているクリープハイプのアルバムの醍醐味だ。
この曲は以前ライブで弾き語りを聴いたことがある。その時から「星にでも願ってろ」というタイトルをライブ終わりにメモしていた程には印象に残っていた曲だったが、バンドアレンジでは疾走感が加わりあまりにも格好いい。
幸せを願うことが正義だと思わなくてもいいと、言われているようで心が落ち着いたのを覚えている。



九曲目。【dmrks】
まずこれもタイトルに驚いた。今回のアルバムは特に曲名に特徴があることが多いような気がするが、こうした古のインターネットスラングを使用しているということが、新しいクリープハイプの曲だと思った。でも、新しいと感じたのは曲名だけではない。どこか2010年かそれより少し前のボーカロイドのようなトリッキーな前奏も、クリープハイプの曲のアレンジはこういったことにも挑戦するのかと耳が喜んでいるのを感じたのは、私がその時代にニコ動やYouTubeでボカロを聴き漁っていたからなのか。
それを彷彿させるアレンジと曲名にわざとしているのだとしたら…と身勝手に深読みしてしまうが、それほどに聴き込んでいた。
苦しいことがあった時に口には出せなくても「こんなことなら…」と思うことは幾度もあるし飲み込む気持ちだと思う。
こうして言語化して歌にしてくれるから、クリープハイプの音楽に救われる人が沢山いるのだ。



十二曲目。【センチメンタルママ】
これもタイトルだけでは見当つかなかった曲だった。この曲を聴いていた頃、個人的に胃カメラの検査を終えたばかりで後遺症もありそれほどに体調があまりよくなくて、頭痛腹痛とどのつまり喉のつまりのところで共感してしまった。
今までイタイとか気持ちに寄り添った抽象化した歌詞はあったけれど、物理的な痛みはなかったなあと考えた。
でも意外と高熱とか動けない辛さの時に音楽を聴くしかできなくてやり過ごすことはよくあるから、そんな時にこの曲はとても助けてもらえるなと思った。一人暮らしをしているとなお、看病してくれるママもいないので一人暮らし社会人にこの曲は沁みる。



十五曲目。【天の声】
今回のアルバムで伝えたいメッセージは、「君は一人だけど俺も一人だよ」なのかなとこのフレーズを聴いて思う。「君は一人じゃないからとかそんな嘘をつくよりも」という歌詞と共にこういったことを綴ってくれることにクリープハイプの楽曲の優しさを感じる。冷たく突き放されているように聞こえるかもしれない。だけれど、こうしてじっくりとクリープハイプの音楽を咀嚼した時にその温かさに気が付く。
この曲を聴いた時に思い出すのは11月に横浜のKアリーナで行われた公演だ。終わり際のMCで尾崎さんがいっていた事が、この歌詞が、今度のツアーのタイトルにも詰まっている。
あの日ライブ行けて幸せだという感情と共に何となく遠くなってしまったとか感じていたあの時にそれを言ってくれたときに私は静かに涙を流した。
そしてこのアルバムを最後まで聴いた時にもまた、私はこの静かな夜に涙を流した。


この『こんなところに居たのかやっと見つけたよ』というアルバムからは、こんなことを言うのは大変烏滸がましくも、沢山レベルアップした新しいクリープハイプを垣間見れた。
そしてその新しいクリープハイプを心から受け入れて楽しむことのできたことが幸せだ。
どこまでも孤独とか打ち明けられない気持ちにそっとそばにいてくれてありがとう。



好きを好きでいることにはその気持ちが強いほどにエネルギーがいることだけれど、
クリープハイプがどんなに売れてもアルバムが豪華なパッケージになっても大きな会場でしか聴きに行けなくなっても
私もどんなに生活が変わっても大人になっても新しいクリープハイプになっていっても一番大好きなバンドでいられることが率直に嬉しくてたまらない。


このチカチカとしたどこか懐かしく感じた彩度の高いアルバムもまた私の大切な宝物になった。
この気持ちもこの曲たちも全部、自分だけが開けることのできる勉強机の鍵付きの引き出しのところにしまっておきたい。
かつて引き出しの中にお気に入りのメモ帳をコレクションをしていた時のように、
枚数は溜まって、机の中で溢れていく。


#クリープハイプ
#こんなところに居たのかやっと見つけたよ




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【あとがき】

去年の春にクリープハイプのnoteの企画で特別賞をいただいた。
私はその出来事にどれほど救われただろう。
あのとき、仕事や日々の生活でボロボロの意識朦朧とした中、やっとの思いで綴ったものだった。
高校生の頃クリープハイプを好きになった時のこと。
とても重い日々だったので、いつか伝わったら嬉しい、でもちゃんと伝えられなかったら伝わらないほうがいい。
そう一言二言では話せないきっかけだったので、本当に生きていて良かったと思った。
あの年、そんな高校生のときぶりくらいに辛い日々で会社も休職したり、次から次へと苦難が訪れた。だけどまた再び立ち上がらせてくれたのはクリープハイプだった。何度も涙を流した。
最優秀賞が取れなくて悔しかったという気持ちはもちろんあったが、もっと言葉を紡いだ表現が上手くなりたいというモチベになった。
2024年も、例えば今までほとんど身内にもSNSにも公表していなかった20年間の虐待の末に自分の体が限界になりお別れを決めた実の父のことなどそれなりに大きなことが色々あったけれど、絶対に乗り越えてみせると沢山の挑戦をして楽しいこともあり2024年の終わり、とても穏やかに過ごせている。
あの前回の企画の文章には書けなかったけれど、私は社会人をしながら楽曲を制作したり文章を創作したりする物作りを両立した生活ができるよう頑張っている。
自分の中でやめた方がいいと無理やり言い聞かせていた時期でもあったので、その時にこれからも創作をやめなくていいんだという激励をもらったクリープハイプに感謝でした。

本当に、本当にありがとうございました。


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