一織日和ができるまで
IDOLiSH7・和泉一織の夢小説です。
ヒロインは小鳥遊紡ではありません。
『一織日和』制作の話になります。
「それじゃあ、一織くん。始めようか」
「はい。よろしくお願いします」
いつものように笑みを浮かべた千さんの後に続いて歩いていく。そう、今日は『アイドリッシュセブン 1st PHOTO BOOK 一織日和』の仕事だった。1月生まれの私を皮切りに毎月担当のアイドルがプロデュースされ、それぞれの誕生日に発売されるものである。発案者は、Re:valeのお二人ということもあって正直なところ私は…緊張していた。
「一織くん、緊張してる?大丈夫?」
私の心を見透かしたかのようなタイミングで千さんが声をかけてくる。
「いえ、大丈夫です…と言いたいところですが、正直しています、多少なりとも」
「そうなんだ?意外だね」
「…意外ですか?」
「うん。だって君、なんでもそつなくこなすイメージだったから。ちょっと意外だったかな」
「否定はしません。ですが…もう慣れましたけど、1月生まれとなるとなにかと最初になることが多いので少なからず緊張はします。前例がないものは特に」
「そうだね。そういった点では僕なんかは12月だから前例ばかりでありがたいけど、逆にそれまで繋がってきたものを壊せないっていうプレッシャーもあるかな」
「なるほど…そういうものですか」
「そうだよ。もちろんその間のみんなもいろいろ感じてるはずだよ。君だけじゃない。だから、もっと肩の力を抜いて気楽にやろう」
「…はい」
不思議な人だと思った。正直、企画だけでなく、大先輩との対談、撮影というプロデュース自体にも緊張していたのだが、千さんと話したことでいらない力が抜けていくのが分かる。いつも百さんとふざけている姿からは想像できないが、これもトップアイドルの力なのだろう。ステージで魅せる彼らの一部なのだ。私が納得していると、千さんが再び声をかけてくる。
「そうだ。確認なんだけど、一織くん。今日の撮影のテーマは覚えてるかい?」
千さんのよく通る声でそう聞かれた私は動揺してしまった。…今、このタイミングでそれを聞きますか。
「覚えていますよ、もちろん」
誰に聞いているんですかと付け足したくなるくらい普段の私のペースのように自信ありげな勢いで答える。千さんは少しだけ笑みを深くした口で返す。
「さすが。でも、ごめん。僕忘れちゃったんだよね」
「…え、は!?忘れたってなにを言ってるんですか、千さんっ」
再び動揺しかけたが、どうにか調子を整えて私らしく問いかける。
「ごめんね。ほら、テーマ忘れたままだとちゃんと撮れないでしょ?だからさ、先輩に教えてよ」
この先輩は意図してなのかどうか私のペースを崩してくる…普段の私ならば一言添えてやりたいところだが『先輩』というワードを前に引き下がることにした。一度大きくため息をつく。
「しっかりして下さいよ、まったく…。テーマは『好きな人と過ごす朝』です」
よくできました、と千さんが小さく言った。…あの様子だと忘れてなかったように見えるが、からかわれたのか!?くっ…おそらく私の頬は赤くなっている。メイクで誤魔化せないだろうか…いや、それを申し出るのも恥ずかしい。もしなにか不都合があれば言われるはずだ。…先輩相手でもやはりおとなしく引き下がるべきではなかったと断言する。スタッフや関係者に気づかれないように私は精神統一を心がけた。
プロデューサー・千さんの意向で、私はコーヒーを注がれたマグカップを手に持ち、もう片方の手で相手の分のコーヒーを淹れるというスタイルのようだ。起きたばかりのイメージで髪を数カ所はねさせ、白いワイシャツを着用というビジュアルだった。ワックスではねさせた髪型のできばえには満足した千さんだったが、ワイシャツ姿を見てうーんと考え込んでいる。
「一織くん、もう一つだけボタン外してみない?」
「えっ…」
「その方が君のファンは喜ぶんじゃないかなと思って」
「いやいやそれはさすがに私のイメージではないでしょう!?そういったのは八乙女さんとか十さんでは…っ」
「あ、そっか。ごめん、言ってみただけだよ」
どこまでフィーリングで生きてるんだ、この人は…!そもそも寝起きという設定のために譲歩しているものの、寝癖をつけたまま人前に出ることすら普段の私にとってはありえないことなのに…っ!当然、これも仕事だからもちろん完璧にこなすけれど。またしても赤くなってしまったであろう顔を私はどうにかこうにか落ち着けて撮影に臨んだ。
「一織くん、もう少し表情柔らかくお願いできる??」
「は、はいっ」
整えてもらったビジュアルも用意してもらった衣装も準備してもらった小道具もその角度も完璧なのだが、問題は私の表情…らしい。カメラマンの要望に応えようとすればするほどぎこちなくなってしまっているのを自覚する…不覚だ。私としたことが…大丈夫、私はパーフェクト高校生なのだから。
「ねぇ、一織くん。テーマに沿って“君の好きな人”を思い浮かべてみたら、どうかな?」
千さんの発言に私は目を見開いた。な、なにを言い出すのかこの人はっ…!面食らった私がなにも言えずにいる中、千さんは構わず続けてくる。
「君にも好きな人はいるでしょう?大切な人たち…彼らを思い浮かべたらすごくいいと思うんだけど」
またもやからかいかと思った千さんのアドバイスはまともなものだった。私は再び知らないうちに入ってしまっていた力が抜けていくのを感じた。楽になった体で目を閉じて思い浮かべたのは、兄さん、家族はもちろんのこと、メンバー…など思い浮かぶだけの人たち…そして、もう一人ーーー。ゆっくり目を開けて小声でささやく。
「…碧さん…」
公私混同を避けるため、仕事とプライベートの時で割り切っている私の頭に彼女が浮かんできた。いや、割り切っているつもりであって完全には割り切れていないのだと俯瞰しているもう一人の私は言う…それはそうだ。いつだって彼女は私の中にいるのだからーーー…
「…お、いいね、表情が柔らかくなった」
「うん…とても優しい顔をしているね。なんだ、できるじゃないか」
シャッターを押すカメラマンの言葉に続く後輩を見守る千の目は温かかった。
好きな人と過ごす朝、か…彼女とならどんな朝を過ごすだろう…
「一織くん、表情良くなってきたよ!その調子で目線をカメラにお願いできるかな?」
カメラマンの言葉にハッとした一織だったが、その隣にいる千に、大丈夫とでも言うように頷かれ、口元に笑みを浮かべた。
「はい」
そう微笑んだ一織の表情はとても優しいものだった…。
キッチンを見立て設置されていたセットでの撮影を終えた一織は、次に言われて持参してきた制服に着替えた。楽屋で一織が準備している間にスタジオの方もキッチンから教室へと見立てたセットへと様変わりしていた。その短時間で変貌を遂げたプロの徹底した仕事ぶりに一織はいつも以上に感心しながらセットへと入る。準備を挟んだものの、一織の心は先程のまま保たれていた。学校の教室で見慣れているものなのに、セットであるとはいえ黒板も、指示で手にしている黒板消しも、着慣れている自分の制服でさえ、すべてのものが、気持ち一つで特別に思える。
碧さん…あなたはすごい人だな…
撮影に臨みながら一織は頭の片隅で、心の真ん中で彼女のことを想う。
「はーい、OKです!一織くん、お疲れ様です!」
「お疲れ様です。ありがとうございました」
カメラマンに挨拶され、自分も頭を下げて挨拶をする。セットが回収される間、一織は手にしている黒板消しを見つめた。
…もしも彼女とこんな風に学校生活を送れたらーーー
なにやら考え込んでいるような一織に、スタッフが申し訳なさそうに最後に残っていた黒板消しを回収しにきた。一織もハッとしてすみませんと謝りながらそれを返却した。すべての撮影が終わって、ふぅと息を吐いた一織に声がかかった。
「お疲れ様、一織くん」
「お疲れ様です、千さん」
「さすが現役高校生。様になってるね」
「そうですか?千さんも似合いそうですけど」
「僕が?高校生役をやっていいの?」
「いいんじゃないですか、なんなら百さんと同級生で」
「驚いた。モモはともかく僕にそんなこと言ってくれる人なんて君が初めてだよ。大和くんには僕が教育者の役なんてありえないって言われたからね」
「二階堂さんなら言いそうですね、容赦なく」
「まさにその通りだったよ。でも一織くんに高校生役を勧められたから自信持とうかな」
「冗談で言ったつもりだったんですが…」
「え、冗談だったの?」
真面目な顔をして聞いてくる千に一織は思わず吹き出した。…この人も見た目がクールなだけで案外おもしろい人なのかもしれないな。…からかわれたのは頂けないけど。
「まぁ、それはともかく。…途中からいい表情していたよね、一織くん」
「ありがとうございます」
「僕のアドバイスは効果あったかな?誰を思い浮かべていたんだい?」
きた…思った通りの質問だった。私は平然と済ますことにした。
「はい、千さんにアドバイス頂けたおかげでスムーズに進みました。感謝しています」
「それなら良かった。半分答えになっていないけど」
「この後は対談でしたよね。一度楽屋に戻って準備してきます」
千の言葉を華麗に遮って一織は楽屋に向かった。
「…逃げられたか。まぁいいや。あとの対談で聞こう」
楽屋に戻った一織は制服から私服へと着替えた。畳んだ制服の上にネクタイを置こうとした際、先程の撮影の時に過ぎった考えに思いを馳せた。
「もし碧さんと一緒に高校生活を過ごせたら、なんて…らしくないことを」
ネクタイを置いた一織は赤くなっていく顔を誤魔化すように制服一式を鞄につめる。
「仕方ない…浮かれていたんだ、私も」
そう結論づけて今日何度目かの精神統一をしていると、コンコンと扉を叩く音がした。続いてスタッフから呼ばれる声も聞こえ、一織は対談に向かった。
案の定、本日のプロデューサー・千との対談は予想以上にきわどい質問もされ、内心たじたじになりながらも、一織はスマートにこなしたのだった。
「お疲れ様、一織くん」
「…お疲れ様です、千さん」
「顔色悪いね、大丈夫?」
「っ!誰のせいだと思ってるんですか!!」
「もしかして僕?それなら謝るよ、ごめんね」
「〜〜〜過ぎたことは仕方ありません。ですが、今後ああいった質問はやめて下さい!」
「大丈夫、その辺は聞かれないように対策していたじゃない」
「た、対策って…収録されない隙を狙って聞いてきただけじゃないですか!こっちは気が気じゃなかったんですからっ…」
「ごめんごめん。次からはもっと上手くやるから」
「ーーー千さん、楽しんでますね?度が過ぎると大神さんに言いますよ」
「あ、ごめん。それはなしにして。本当にごめんね、僕が悪かったから!!」
「掌返しがすごいですね…大神さんの偉大さを垣間見ました」
「万は怒らせない方がいいよ、君たちにも言っとく」
「怒らせませんよ」
「即答とはさすがだね…じゃあ、お詫びとして…そうだね。今日慣れない仕事をがんばった一織くんにもう一つアドバイスを送ろう」
「…なんですか?」
どこまでもフリーダムな先輩を訝しげに見ると、ただ優しげな表情をしていた。
「ーーーこのフォトブックが出来上がったら“君の好きな人”にプレゼントしてあげるといい。大丈夫、絶対に喜ぶから。プロデューサーの僕が保証するよ」
「!…っ千さん!?」
まるですべてを知っているかのような千の口ぶりに一織はこの日一番の動揺をした。手でせめて口元だけでもと隠すにも追いつかないほど、顔が真っ赤に染まることの方が早かった。言いたいことを言って満足したらしい千はじゃあねと言い残して去って行った。取り残された一織は頭をクールダウンするのに努めていた。
「〜〜〜そう簡単にあげられるのなら苦労しませんよ、まったく…!」
冷静になろうとすればするほど“好きな人”が思い浮かべられ、クールダウンには程遠かった。火照った熱は引きそうにない。冷ますのを半ば諦めた一織は一度大きく息を吐いて楽屋へと足を向けた。スタジオを出て廊下を歩きながら今日のことを振り返る。
「はぁ…疲れたな」
誰にも聞こえない音量で呟いた。自由な先輩を前に正直疲弊しきったものの、優しい指導には感謝している。もう少しで自分の楽屋だ。顔にこそ出ていた朱色は消えたため、すれ違いざまに挨拶を交わす人たちにも不審に思われない。だが、まだ熱は完全に引いていない。けれども、そんな自分も悪くないと思う。自然に上がった口元と共に一織は楽屋の扉を開けた。中に入って素早く帰る準備を終え、扉を閉めてからスマホで時間だけ確認する。歩きながらメンバーのスケジュールを頭に思い浮かべると、そろそろ三月が帰宅した頃のはずだ。
「…兄さんが作るホットケーキが食べたいな、クマの形の」
好物が自然と口をついて出てしまうほど、今日の一織はやはり疲労困憊だった。しかし、マスクに隠れたその口角は上がっていた。寮へ帰ろう。そして褒めてもらおうという密かな思いを胸に帰路につく一織の足取りは軽いものだった…。
END
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