特別で大切なブレイクタイム


ŹOOĻ・棗巳波の夢小説です。
ヒロインは小鳥遊紡ではありません。

繊細な音が奏でられている。楽器に向き合う男の子。それまであんなにきれいな音を聴いたことがなかったーー…。

大きくなったら、なにになりたい?そう聞かれて答えるのは、いつも決まって「ピアニスト!」だった。幼稚園生の時、先生が弾いてくれたオルガンに惹かれた私は、すぐにお母さんに頼み込んでピアノを習い始めたのだ。音が出た!きれいな音だ!それだけで楽しかったし、嬉しかった。それからどんどんハマっていったのだが、年齢があがるにつれて曲が難しくなったり、コンクールとかの話が出たりして正直、練習がキツイ時もあったけれど、それでも私はピアノが好きだった。そんなある時、ピアノの先生が仕事でテレビ局に行くことになって一緒に連れて行ってもらったのだ。初めて見るテレビ局もすれ違う見たことのある芸能人にキョロキョロする私に先生も苦笑してたっけ。仕方ない、子供だったんです。まぁ、今でもキョロキョロしちゃうかもですけど…多少。けど、その芸能人がたくさんいる場所に行ったことで、彼に出会ったのだった。

棗巳波。そう名乗った彼は、全体的に白くてまるで女の子のような印象だった。テレビ局の廊下を歩いていたらピアノの音が聴こえてきて、思わず私は辿って行った。その先にいたのが、巳波くんだったのだ。私は静かに少しだけ開かれていた扉の隙間からその姿を盗み見てしまっていた。彼のピアノに聴き入っていたら、油断して物音を立てたというありがちな展開だ。気づいた巳波くんに私はすぐさま頭を下げて謝った。怒られるのを覚悟していたが、巳波くんは怒ることなく、柔和に微笑んでくれた。ほっとした私はピアノに感動したことを伝えると、少しはにかんで笑ってくれたんだ。これは男の子に言っていいものか分からないけれど…かわいいと思った。実は私もピアノを習っていることを話したら、一緒にプロを目指そうという話になって別れたのだ…いきなりで驚いたけど、穏やかな雰囲気の巳波くんから強い意思のようなものを感じて頷いたのだった。

あれから、10年。私は音楽大学に通いながらピアノを続けている。コンクールや留学といった言葉が身近な環境に身を置いている。しかしながら、私はまだそのチャンスを掴めていない。悔しくて泣いては再び挑む日々をずっと繰り返しているが…正直、そろそろ疲れてきた。ーー私には、才能がないんだろうか?なにもかもやめたくなる思考に陥りそうな時は、頭をぶんぶんと振って無理やり切り替えている。もう癖だ。そうすればまた前に進めたから…けど、ちょっと休みたいな、なんて思うことだってある。そう思いながら、なんとなく顔を上げた時だ。そこには、モニターがあってアイドルグループのCMが繰り返し流れていた。ーーŹOOĻだ。

少し前に鮮烈なデビューをした彼らは、今や大人気で他のアイドルグループと肩を並べている。その中の一人に巳波くんがいた。すぐに分かった。あの頃より大人びた彼は、女性のような柔らかさを残しながらもすっかり青年のそれだった。
「…かっこいいな」
自然とポツリと言葉がこぼれただけ。だから、誰かにそれを拾われるとは思っていなかった。
「ーーふふ、ありがとうございます」
ふと背後から聞こえた聞き覚えのある声。私は思わず振り返った。そこにはーー
「…み、なみ、くん?」
帽子を目深にかぶってメガネをかけ、マスクで口元を覆った一人の人物と目が合う。
「ええ。ここでは目立ちますから、場所を変えましょう。少しお付き合い願えますか?」
変装をしているが、明らかに巳波くんがいた。

巳波くんの後ろを歩いてたどり着いたのは、穴場スポットのようなこじんまりしたカフェだった。巳波くんによると、経営しているのは子供の頃からお世話になっているご夫婦でそれなりに業界にも詳しいため、巳波くんのことで大騒ぎなどはしないらしい。巳波くんはコーヒーを注文したので私も同じものを頼んだ。オススメらしい。
「素敵なところだね」
「ええ、私大好きなんです」
その一言に芸能人である巳波くんのバックボーンのようなものを垣間見たような気がした。常に人から注目される立場の彼には、このような癒しの場所が必要不可欠だと思った。それに"大好き"なんて…自分が言われたわけじゃないのにちょっとドキッとしちゃったよ。なんて、自嘲する。
「ーー変わりませんね、あなた」
「え?」
「ピアノが好きだと仰ったあなたも、弾けんばかりのマシンガントークでしたので」
「!あ、アハハハハ〜…わ〜恥ずかしいッ」
そうだった。私は好きなことを、好きなものを大好きすぎてしゃべり続けていたんだ。しかも巳波くんに…は〜、穴があったら入りたい。
「あの、その…その節はご迷惑をおかけして…」
「迷惑?そんなこと思っていませんよ。むしろ愉快だったぐらいです。私もピアノが好きでしたから」
「そっか、巳波くん。ピアノすごく上手だもんね」
「ええ」
「ーーけど…やめちゃったんですか?」
あの時のように柔和に微笑む巳波くんに思いきって尋ねてしまった。きっと、いろいろあっただろうに。芸能人ではない私には想像できないようなことも。だけど、なぜか今聞かないと後悔する気がしたから。巳波くんは一瞬動きを止めたように目を揺らすと少しの間伏せた。再び開けた彼の目はもう揺らいではなかった。
「やめていません」
「…えッ?」
「今も、弾いています。ピアノを」
「そう、なの?」
「ええ。…正確に言えば、再びちゃんと始めたといったところでしょうか。なのでやめていません」
「…そうなんだ。よかった。お仕事忙しいと思うけど、あんなにピアノ上手いからもったいないなって思って」
「ありがとうございます。ーーそれに、約束したじゃありませんか。一緒にプロを目指そうと」
「…え」
「まさか、忘れていませんよね?…まぁ一度会っただけの人物との約束ですし、それに子供の頃でしたから不思議ではありませんけど」
「ち、違ッ!覚えてます!私もピアノをずっと続けていて今も音大にーー」
「ええ、知っていますよ。あなた、コンクールにも出ていますし、結構有名ですから」
「ゆ、有名?私が?」
「はい。私の情報網を侮るなかれですよ。おかげで、すぐに分かりました。ありがとうございます」
「へ?あ、はい…?」
私のよく分からないで頷いたのが筒抜けのようで巳波くんはおもしろそうに笑った。…変わらないな、本当に。面影がある。私が密かに見惚れていると、巳波くんは再び口を開いた。
「ーーアイドルの私も、役者の私もいる中にピアノを弾く私もいるだけです。欲張りなんです。だから…一人で背負わせませんから、安心してください」
"あなたとした約束を、決して軽くはない夢をあなた一人に押し付けるわけないでしょう?"
そう言われている気がした。子供の頃、たった一度会ったことのある彼と交わした約束。それを覚えていてくれた。もうそれだけでいいと思った。目頭が熱い。
「…巳波くんこそ覚えていてくれたんですね」
「もちろん。これからも夢の形は多少変わることもあるかもしれません。ですが…根っこは変わりません。なのでーー」
ほら、と促されて同じように小指を互いに向け合う。
「約束です。ゆびきりげんまんしましょう」
ゆーびきーりげーんまーんと巳波くんの声に私もつられて口ずさむ。アイドルの彼の生歌なんて贅沢すぎる!私たちは子供の頃、出会った時のように再び約束を交わした。ちょうどその時、コーヒーが運ばれてきた。香りからとてもおいしそうだ。そこでふっと気になった。
「巳波くん。時間は大丈夫なの?」
「ええ。ここに来たらコーヒーをいただかずには帰れませんから」
そういうことじゃないんだけどな…まぁいいか。私が困ったように笑っていると、ふふっと小さく笑い声がした。
「冗談です。まぁ、コーヒーを飲まずに帰りませんが。…10年ぶりにせっかく会えたんですから、積もる話がないわけないでしょうに。大丈夫です。今日はオフなので付き合いますよ」
「ありがとう…!本当は話したいことたくさんあるんだ」
「私もですよ。ええ、聞きましょう」
ここのコーヒーは絶品ですから飽きませんよ、と巳波くんらしい言葉で長居することになったのだった…。

END

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