⑬ 富士のひと
あの子は木の立つところをみたのかしら
まゆさんは湖の村で一番の養蚕農家にそだった
何人も女中さんと男衆がいたけど
おとうさんは厳しくて
きょうだいたちみんな 戸板を拭いてからでないと
遊びにいかせてもらえないの
評判の美人姉妹で四人の娘のうち二番目だった
まゆさんは 妹のはなしをしたっけが
柿の木の下でねえ
とうさんといっしょに みつかった
おりかさなって どっこも泥だらけ口の中まで
逃げようとしたのねえ
おばあさんだけ助かった
大黒柱のそばをはなれず
大黒柱は難をのがれるって
昔のひとの知恵でね
あたしともう一人の妹と弟は親戚のところに
泊まりにいってた
あたしたちいっしょに学校行ったのよ
あのトンネルを自転車でねえ
セーラー服のスカートの裾をパンツにたくしこんでブルマみたいにして
氷筍のたつトンネルを そろそろ自転車おして
みずうみまで
あとは一気にくだったの
そう
春には蚕にやる桑のぼいが ぼいって?
ほら 新しくでてくるあの緑みどりした
芽?
芽 のことをぼいとしかいえないといった
まゆさんは少女だったのだろう
瞳がそのときのままに輝いていた
ぼいがやまみたいに出て それをやると
いっせいにたべる音が もううるさくてうるさくて
ねえさんはほかのきょうだいが
五人みんなかかってもかなわない
とうさんがいつもいってた きれいであたまよくて
市役所につとめにでていたから 助かったのに
四十になる誕生日の少しまえ
同じ市役所にあさ出かけようとして
車にはねられて
あたしは夫がいたんだけど
浮気されてむしゃくしゃして
昼間からだいどころで てあたりしだいに
お酒をのんでたわ
帰ってこなくてねえ
あの人のやってた会社
湖でみつかった丸木舟を引上げたりして
羽振りのいいときもあったけど
そのうち左前になって倒産して
夫も癌で逝ってしまって
家も土地もみんななくなって
百円にもこまってたころ あの家の土地を
武雄さんが百万円で買ったって
なんてことしてくれたって泣いていったけど
もうあとの祭りで
いい人と思ってたひとも いざとなったら
欲に目がくらむっていうかねえ
仕方なくてあたしは妹と
吉田でスナックをはじめたの
十年やって
そうだ、あたし
うどん屋をやろう、って思った
それでここをはじめたの
あっちは妹がやっているわ
妹はあたしと違ってお酒が飲めないんだけどね
まゆさんは 私と家族が引っ越して町をでるその朝にあわせて
前の日に造ったという 散らしずしの残りを
おにぎりにこしらえて おかずもいっぱいつけて もたせてくれた
残りで悪いねといったそのちらしずしを
ほんとうはわざわざ私たちにもたせるために
つくったのではないかと思ったがそれはいわなかった
まゆさんもなにもいわなかった
いつもそうしていた通りきれいに結い上げた髪に
リボンをかざっているのをみて
こんなふうによそおうひとに もうあえなくなることがしみじみ寂しかった
きっとこれから行く町にこんな人はいないだろう この町にもまれな 古希とは思えない
美しい面差しのまま ひとりできちっと
立っていきている人だった
次のとし 夏になるまえ いったら 閉まっていた
なんど通っても まゆさんはもううちにいないということだけ わかった
家ののはな飾りや かつての畑のようすで
それがわかった
そのあと村のひとに消息をたずねると
おとうとさんが 西湖いやしの村で
うどんの店をはじめたという
わたしは子どもを連れて行ってみた
西湖のまわりを七キロ 年の分だけ歩こうといいきかせて歩いて巡り
しまいにいやしの村に着いたら
その店でうどんを食べさせ
子どものほうびにしようと思った。
だがそのとき財布には
七百円しかはいっていなかった
それはうどんやについてはじめてわかったことで
おさないとはいえ 七キロもあるいたあとの子どもたちは
うどん一杯とおにぎり二個を ふたりでわけあわなくてはならないとわかって
悲しそうな顔をした
店にはソフトクリームもあんみつも売っていたから
おにぎりとすきなうどんをたべて ソフトクリームも買ってもらえるとばかり思っていた子どもたちはお金が足りないときいて
ほんとうにこの母親は貧乏なのだと思ったのか かえって文句ひとついわず
だまっておにぎりをたべ、うどんをわけあい 食べ終わると
しずかになって私はこどもを連れて店を出た
そのとき七百円しかないほど
困っていたという記憶はない
だが 数千円を財布にいれて
一週間はそれですごしていたから
週末で残りが少なくなったのを
わすれてそのまま旅に出てきたのだ
わたしにはよくあることで
じぶんだけでも子どもをまえにしても
もうないからこれだけ となるのだった
いまもこどもはどこか食事の家で
注文するとき慎重に値段を見て
よいかどうか私にたずねる
ひとつでも追加のものをたべたくなると
家計に負担が、と、
もう大人と同じ声でいまもいうのだ
うどんの店でまゆさんのいるところをたずねてきた
神奈川の息子さんのところだった
電話番号を聞いた かけた はなした
まゆさんの声はすこしかすれていた 加減をたずねる私に
懸命に元気をよそおって話すのが痛々しかった
おなかのガスがたまって腸捻転になった、苦しくてたまらなかったから
息子に電話して神奈川の病院に連れて行ってもらった
すぐに手術になって なにも計画しないままに入院していた いつもがまんしてたから便がでなくなって 自家中毒したのだという
しばらくは養生して暮らすといった
店のことはまたといった また と
まゆさんはもう帰ってこないのではないかと思った
一年のうち夏には繰り返し富士へと通った
まゆさんの店のそばの国道を通ることもあって そのたびに少し回り道をして
店のまえをとおったが そのつど閉まっている玄関をみるのがつらくなって
その道へははいりこまないようにようじんするようになったが
国道にあいかわらず大きな看板がでていたからそれがめにはいるたびに
まゆさんをやはり思い出さずにいられない
あのひとの声も料理もその話も 畑の野菜まで みたことのないほど
あでやかで色と艶があって そこだけ輝く
その灯りがいまもあざやかだ
いまはもう弟さんのうどんの店も
まゆさんの落ち着いた家も
電話番号もわからない。
あの店で 子どもたちは私にもうどんをすこしずつ分けてくれた
その一口はまゆさんのあじとはまた違ううどんとおにぎりの味わいで
なんによらず七キロを二時間半かけて歩いたあとだ
たったひとくちがたしかにしみたはずだがいまとなっては印象がない
思い出すのはまゆさんのうどんのあじわいばかりだ
あの柿の木の生えていた
まゆさんの家のあったところは
いまでは灰色のバラスの敷かれた空き地になり
脇に無人のスタンドがあって
自動販売機がつらなっている
発光ダイオードの人工ライトをともしたさむざむしいスタンドには
正方形の黄色いかたちに 青い字で一字ずつ
ハッピードリンクとかかげられている
その土地に面した道のすぐ前に
まゆさんが妹さんと自転車で通ったという
あのトンネルが変わらない姿でそこにある
トンネルのわきには 水路があって葦が生え
夕陽に照らされて 湖の岸辺に続いている
水路の門が開くと となりの湖と正確に同じ時間に 水位は下がりはじめる
湖は帯水層でとなりの湖とつながっている
喪われたひとびとと
失われたときも
湖のどこかで
葦にゆれてつながっているのかもしれない
千年前
落人の姫さまが湖でかくれていたという
独木舟にのって
ゆらゆらと
まゆさんというひとは
あの丸いまげのような後ろ髪と
柔らかなほほえみとして残っている
わたしもいつか だれかにそうして覚えられ
その前を去り 会わなくなって
いつまでも尾をひくほうき星みたいになって
記憶のかけらとして 残るのかもしれない
あるいはたったいま このときにも
だれかの ほうきぼしになって