保護者→保育者のわたしが、子育てで失敗から学んだエピソード
漸く!
一つ…思い悩んでいたことからの
解放宣言↑が出ましたので
この記事を書けるように
なりました!
我が息子氏のことに
触れることになるので
場合によっては
削除請求されるかもしれません
が、
書き辛かったことは
近々clubhouseで
お話しすることにしますね♪
生活習慣の癖づけ
私は妊娠中から
彼が夜勤のある仕事
だったこともあり
生活時間帯が
かなり夜型になっていました
妊娠前は
9時〜17時のパートだったので
良かったのですが
職場→家が
横浜の急な登り坂で
吐きながら帰る始末…。
悪阻が始まった頃から
まともに仕事に行けなくなり
退職せざるを得ない程。
それを心配してくれた
優しい息子の父親(以下「彼」)は
大分への転職を決意してくれます。
(今考えれば、ホント優しいひとでした)
地元に引っ越ししてからも
プログラマーの彼は
夜中に電話しながら仕事しており
私はその彼を支えたくて
結構夜中まで
起きていることが多かったんです。
その生活習慣は
仕事を始めてからも
出来るだけ沢山
息子の話を聞いたり
家事を夜に片付けて起きたくて
小学生になってからも
結構続いて居ました
すると必然的に
息子も遅くまで起きていることに
何故なら
息子を先に寝かせようとすると
確実に自分も寝てしまい
次の朝、
慌てることになるからです
今は保育の中で
大抵の子を寝かせることやら
寝る前の
通過儀礼を作ること
(絵本を読む、メディアを消す、暗くする)
などの対策や
寝かせる為のテクニックなども
持って居ますが、
当時の私は知りませんでしたから
(私が保育士になったのは
息子が小5になった頃)
※このことについてはclubhouseにて!
今、私が関わっている
お子さん方やおうちの方々には
出来る限り
生活習慣をしっかりと整え
決まった時間に
寝るようにすることを
お勧めしています!
★その後の学び★
未就学児は20時迄に
それ以降も出来るだけ
早寝早起き習慣をつけておく
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妊婦のメディアとの向かい合い方
我が子は
2001年10月生まれ
あの日(2001年9月11日)
私は妊娠8ヶ月を
迎えておりました。
あの時、私は
息子氏の父とよりによって
シューティングゲーム中↑
私が唯一
ヤツに勝てるゲームで
やっほい言ってる時でした。
私と彼は
携帯電話の契約会社が別で、
彼は「元公社」
私は「柔らか銀行」
私の携帯にだけ
急にアラートが鳴りました
私は、彼に携帯を見せました。
慌ててテレビを付ける彼。
そしてそこには
WTCにジェット機が
ぶつかった画像でした!
ガーン↓
もう観ちゃってました↓
私は目の前の画像が
映画のCGなんじゃないかと
思いました。
私には…その後
暫くの記憶がありません。
彼はエンジニアだったので、
何か慌ててやり取りしていたかも
しれませんが
私は気が付けば
ソファベットで寝てました。
その後も暫く
私は「フィクション」だと
感じていました。
後になって、
当時の知り合いが
近くに居たことが分かり
現実だと
受け止められたのですが
未だに私は
これが人がやったこととは
思えてないのかもしれません。
★その後の学び★
妊娠中は
その後の目の為にも
メディアからは距離を置くこと
・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚
産後のことを話し合う
産後の肥立っては
良く言うけれど
私はモロにそのことに
直面しました
実は
産後1週間、
酷い寝不足でした↓
おっぱいの出が悪かったのか?
我が子は1時間置きに泣き
授乳に1時間掛かる日々。
訪問者が来てくれたのは
嬉しかったのですが、
自分が思っていたよりも
気を遣うタイプだったのか?
どんどん動けなくなりました↓
退院後のことは
↑に詳しく書いたので
ここでは割愛しますが、
彼も私も
産後に関する知識が
無かったことがよろしく無かった↓。
★その後の学び★
一緒に暮らす前に
万が一の妊娠に備えて
産前・産後の自分の心と身体のことを
しっかりと話し合うべき
そして
産後の妊婦さんは
赤ちゃんと二人の生活で精一杯
・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚
頼ることで学び合える
子どもが産まれて暫くすると
急に孤独を感じることが
増えて来ます
最初は
子どもと二人きりで
居たかったのに
急に
社会から
取り残された気分になりました
夜勤のあった彼に
時々夜泣きの相手を
代わって貰っていたのですが
彼の仕事場での人間関係が
あまり上手く行って居らず
疲れきってる姿を見ると
頼み下手な私は
段々と自分の存在が
彼の人生を阻んでいる気がして
頼むことを辞めました↓
すると
寝不足のイライラも重なり
彼との心の距離感は開くばかり
夢を語り
未来へと向かう彼のことを
誰よりも応援していたけれど
それを聞くたびに
現実しかない自分との差を感じて
怒りを感じるように
なってしまってました
近くに
両親は住んで居ましたが
父はなりたての経営者
母は出張が多い営業職で
当時は父の仕事を支え
別の会社で働いていた為
心配させたく無くて
ただものも言わぬ
息子を見ながら
外では笑って
家では毎日…泣いてばかり
そしてついに
彼は東京への転職を
決めて来ましたが
より孤独になることに
耐えられる自信が無かったのと
自分がこれ以上
彼の足枷には
なりたくなくて
と彼に伝え
結局別居の末
離婚することになったのでした
今、思うことは
もっと私が今のように
やりたいことや夢を見つけて
資格を取ったり
仕事を始めてたなら
そして
人に頼ることに対して
罪の意識を感じることなく
寧ろ甘えることで
ことに
気が付いていたのなら
もっと上手に
彼を
支えられていたのかもしれない
そう思うのでした。
★その後の学び★
人を頼ることは
罪ではない
寧ろ頼ることで
お互いの成長に繋がる
・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚
最後に…おうちの方々へ
わたしの保育は
自分の経験を踏まえ
これからの未来を育む
子どもたちと
そこに関わって行く
おうちの方々に
自分が後悔してきたことは
辞めるように
逆に
やって良かったことも
沢山あるので
両方の良いところを
しっかりと考えて
提供しています。
正直、
上手く行かなかったことを
書くのは
どうなのか…と
悩みましたし、
しかし、
現状…今の社会システムが
直ぐに変わるという訳でもありません。
だからこそ!
あるものを
受け入れつつも
新しく替えて行こう
とする創造性が
必要だと思っています。
今考えれば
保育を知らなかったからこそ
学ぼうとして
保育士になろうとした訳だし、
迷い、悩んだからこそ、
認定心理士を目指した訳で、
悩んでいるおうちの方々の
お話を聞いても
多少のことでは
怯まなくなったのだと思います!
だからね、
子育てに失敗なんて
無かったと思うし、
確かに息子には
さみしい思いを
させて来たかもしれないけれど、
紆余曲折したが故に
逞しく、
だからこそ
自己肯定感と志の高い子に
育ってくれた部分もあると思ってます!
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