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結婚したらもう恋愛しなくていい

結婚してよかったことのひとつがこれである。

もう恋愛しなくていい。
あんなしんどい思いをしなくてもいい。

それだけで何という安心感なんだろうか。

恋愛はたしかに楽しいことでもあるけど、それは恋愛だからであって。その先があるとなると一気に醒めて現実をつきつけられることばかり。
彼氏彼女、なーんの確約もない関係を楽しめるのは学生の間くらいなもんだろうと感じる。

だから恋愛と結婚は別。遊びと生活だから。恋愛は休日の遊び、結婚は平日の生活。
そりゃあ恋愛は楽しいことばかりだろう。生活とは別だから。
じゃあ恋愛できないような好みでもなんでもない相手とも我慢して妥協して結婚すべきなのか?だって別ものなんだろ!てわけでもない。だって生活もできて遊びもできる人とするのが幸せな結婚だから。

なので正確には、恋愛だけできる相手と、結婚も恋愛もできる相手は違う。ってことかもしれない。

わたしは平成の少女漫画を教科書に育ってきた純粋培養である。弊害もガッツリ喰らっている。出会えば意味もなく好かれる。好きになる。そこに人としての理由はない。世界にはわたしと相手だけ。恋愛こそ思われることこそ生きること。いや書いてて苦しくなってきた。いわゆるとんでもない黒歴史である。消えてえ!
好き!カッコいい!のうきうきした気持ちがずっと恋愛だった。そこに相手を思いやるとかは一切ない。どきどきな展開に胸躍らせ期待に胸膨らませ、理想通りでないと勝手にガッカリする。
期待通りの展開でないと勝手に失望する。

わたしの若い頃の恋愛はそんなひどい有様だった。
もはや恋愛ですらなかった、自分でつくりあげた理想とだからこの人が好き!というつくりあげた気持ちを勝手に押し付けているだけだった。

なので恋愛となるとひたすらに疲れた。
失敗したくない気持ちと好かれたい気持ちとよく見せたい気持ちと期待ばかりで、そこに誰かを思いやりいつくしむ気持ちなどない。
「たぶんこれではだめなんだろうなあ」とわかってはいるけど、人を好きになるってどういうことなんだろう。愛するとはどういうことなんだろう。といつも疑問だった。

話は逸れるが、まず最初に愛を教わるべき相手である親はいわゆる過干渉タイプの毒親だった。
ダブルバインドと感情の押し付けを受けて育って、自分も素直に他人に対して感情を押し付けるようになる。そこに少女漫画脳が加わってしまうと、自分が世界の主人公!なイタイ女が出来上がるのである。
本当に黒歴史である。

そんなわけで物理的には両親そろって何不自由ないように育ってはきたが、中身は空っぽ。精神的に何ひとつ成長しないまま成人を迎えることになる。
それはもう他人との軋轢はものすごかった。そりゃそうだろう。よくイジメとかに遭わなかったものだ。いやあまりにも痛すぎてイジメる価値すらなかったのかもしれない。だからわたしはどこでもひたすら浮いていた。

常に生きづらさを感じていて、これはどうしたらいいんだろうといつも考えていた。
まずしたことは、実家を出ることだった。
実家を出て、自活して、次にろくでもない男に引っかかった。なんとかその男をぬぎすてて、環境もぬぎすてて都会に出た。
これまでのわたしはまるで脱皮を繰り返してきたかのようだった。

そうしてわたしはさいごのさいごに、親を脱ぎ捨てた。
縁を切った。

血が繋がっていても要らない関係はあると思う。
親は親というけど、子供の人生の害になるんなら脱ぎ捨てていくべきだ。別の人間なんだから。

そうして夫と出会って、だれかを思いやることこそ愛であり、愛とは信頼や安心そのものだということを知った。
「優しい」とは違う。

経験上、交際相手の好きなところが「優しい」なのは非常に危険だと思う。だいたい中身は紛い物だからである。
なので人から夫がどんな人か?と聞かれた際「優しい」とは言わない。


「思いやりのある人だよ」と、言っている。

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