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“自分でも気づかない魅力を引き出す”。それが私の仕事【コピーライター&マヤ暦アドバイザー・古泉和子さん】

1986年からフリーランスのコピーライターとして活躍する古泉和子さん。自称・仕事人間で、「言葉」を司るコピーライターの仕事を誇りに思い、「辞めたい」と思ったことは皆無だとか。
「好奇心旺盛でなんでもやりたがるけど、何事も続かないほう」と笑う古泉さんだが、一度のめり込んだら猪突猛進。文字通りまっすぐに突き進む性分。
そして10年ほど前に始めたマヤ暦も、「終わりがない探究」と、魂をかけて勉強しつづけている。
現在はコピーライターとマヤ暦アドバイザー、この2つがライフワークという古泉さん。
この2つの仕事に懸ける思い、そして信念とは。

エディターの竹尾です。
「about me」は、その人の信念や情熱を伝えていく媒体。信念と情熱とは、最も人を動かし、エネルギーを循環させるものだと考えています。
今回お話を聞いたのはコピーライター、そしてマヤ暦アドバイザーとして活躍する古泉和子さん。穏やかな人柄のなかに秘めた熱い想いを語っていただきました。

私の人生を変えた、衝撃の名コピー


―もともと、文章を書くことは好きだったんですか?
古泉
 子どもの頃から、文章を書くことは好きでした。本を読むことが好きだったかというとそれほどでもなくて。映画やテレビを見るほうが好きだった。

それでもなぜか、文章を書くのは得意でした。以前、「過去世は物書きをしていた」といわれたことがあります。それが真(まこと)か否かはわかりませんが、文章が書けて楽しく続けていられるのだから、もしかしたらそうだったのかも、とは思います。

おかげで、小学校のときは全国作文コンクールにも入賞しました。これがなかなか大層な賞だったようで、学校でも表彰されて、単行本に掲載されたり、私の名前が彫られた鉛筆まで贈呈されました。親からは、「なんでこんな賞なんてとったんだ!」と、怒られましたけど。

―えっ。なぜ怒られたんですか?
古泉
 う〜ん。なぜでしょうね。あまり予期せぬことが起こってほしくないタイプというか。あと、作文が掲載された単行本はいただけず、買わないといけなかったんです。貧乏なのか、「なんでわざわざ買わなきゃならないんだ」と言って、買ってくれませんでした。

―そんなことがあって、「もう書きたくない!」とはならなかったんですか?
古泉
 ならなかったですね。そんなことでめげる性格ではなかった。変わらず文章を書くのはずっと好きでした。

コピーライターという仕事を知ったのは、大学生の頃です。その前に何かで「ルポライター」という仕事があるのを知って、「いろんなところを旅して書きながら仕事できるなんて最高だな」と思って、憧れてはいたんです。その後にコピーライターという職業を知り、「ルポライターとコピーライターって似ているな」という単純な理由から、なんとなく気になっていました。

そんなときに、サントリーオールドの「酒は学校だよ。」というコピーをたまたま目にしました。開高健さんの出演で展開されていたこの広告に、衝撃を受けて。とくに胸を打たれたのは、ボディコピーの締めの文、
「男は自殺するかわりに旅に出る。」という言葉。
「コピーライターってなんてカッコいいんだ!」と瞬間的に思ったんです。

大学生の頃、衝撃を受けた広告コピー。

それでコピーライター目指して就職活動をして、大学卒業後は四谷にある広告プロダクションに入りました。

小さなプロダクションで、2〜3年働いて広告代理店に転職。一年たった頃にたまたま電通の方とご縁があって、契約してほしいと言っていただきそこで独立。フリーランスとしての活動をスタートしました。ちょうど26歳のときです。

フリーランスになって、仕事は順調でした。でも、コピーライターとして認められるには、「東京コピーライターズクラブ(TCC)」(※)で新人賞を受賞することが大切だと考えていました。ここで受賞し、会員になることで、胸をはって仕事ができる。いわゆる国家試験に通るようなものだと思っていました。小さなコンテストにはたくさん応募していて、いくつか賞もいただいて、広告批評の学校にも通い、成績もよかったんです。ですが、私のようなフリーランスにはなかなかチャンスがなく…。悶々(もんもん)としていました。

※東京コピーライターズクラブ(TOKYO COPYWRITERS CLUB )は、東京を中心に日本全国で活躍するコピーライターやCMプランナーの団体。

―無事、賞はとれたんでしょうか。
古泉
 はい。31歳のときに。デニムブランド『BIG JOHN』の企業キャンペーンで書いた「男は女から生まれた。」というコピーで受賞しました。私のコピーライターの師匠のおかげです。きっと、師匠は私に賞をとらせてあげたいと、チャンスを与えてくれたのだと思います。


https://youtu.be/-5ycmnLcvsc

「男は女から生まれた。」BIG JOHN

しかし、このコピーの提出までは3日しかありませんでした。リサーチしたり、熟考する時間はなく、なるべく多くのコピー案を提出する必要がある。とにかく必死でしたね。最終的に50本出しました。

そんなときに役に立ったのが、「ネタ本」と「写経本」です。

―「ネタ本」と「写経本」とは?

古泉 「ネタ本」は、「自分だったらこの広告はこうやって書くだろうな」とか、自分なりのコピー案を考えてノートに書いていたもの。20代の頃は時間だけはあったので、シミュレーションとしてたくさん書いていました。


ネタ本と写経本(ノート)。

「写経本」は、コピーライターの人の文章や、向田邦子さんや村上春樹さんなど、作家たちのエッセイ本など、気に入った文章を書き写していたもの。自分にとって心地いい文章を書き写すことで、そのリズムを感じながら文字を食べているような、味わっているような気持ちになるんです。書いているだけで心が落ち着くので、これを勝手に“写経”と呼んでいます。あとから自分が好きな文だけ読み返すことで、「あぁ、美しいな」「やっぱりこの文章は最高だな」と思えて幸せな気持ちになります。
提出までの3日間は、何冊もあるこの2つをひっくり返して、コピーを考えました。

―「写経」、いいですね。書く仕事をしていなくても気持ちが落ち着きたいときにやると良さそうです。
古泉
 そうですね。とてもおすすめです。20代の頃は賞もとれてないし将来が不安で、そんなとき私には書くことしかできなかった。書くことに集中することで、心を落ち着かせていました。

50本持っていって、師匠がさ〜っと見て、「これかな?」と言ってすぐに決まりました。もともとこの『BIG JOHN』は、前年は糸井重里さんが担当していた仕事なんです。そんな仕事が自分のところに舞い込んできたのは、本当に奇跡だったと思っています。


コピーライターとは、どんな仕事なのか。
「文章を書く」という意味では同じカテゴリーでも、ライターとコピーライターでは役割もターゲットも、作業工程も異なります。
ライターは「読ませる文章」を書くのが仕事であり、コピーライターは読むつもりのない人にも、読んでいただくための文章を書くのが仕事。
そして、ライターはその人の視点で書かれた「個」が多少なりとも出ますが、コピーライターは企業の想いを代筆するのが役割。どちらも裏方ではありますが、コピーライターのほうが「影」=黒子の役割度合いが強い印象があります。

同じように言葉を生業にしている古泉さんは、文章をつくることにおいて一体どんな信念を持っているのか。そんなことが気になりました。

その問いに対して、古泉さんは「普通に生きることを大事にしている」と語ります。

古泉 コピーライターの仕事はさまざまなパターンがありますが、長くお付き合いするクライアントさんの場合はかなり前からその準備が始まります。たとえば、化粧品ブランドの発売が決まったら一年前から資料をいただき、工場を見学して自分でその商品のサンプルを試します。そしてそのターゲットや競合を自分でリサーチしながら、コピーを考えるための材料集めをするんです。

このリサーチをするにあたって、大切だと思っているのが「普通に生活する」ということ。たとえばコンビニに行くとか、カフェに行くとか、自分自身が消費者として普通の生活をすることが大事だと思っています。新しいものや可愛いものを見たら胸がキュンとする気持ち。それは忘れないように心がけています。

―わかります。あまり極めないようにすることは、大切ですよね。コピーライターの仕事を40年以上続けられた理由はなんだと思いますか?
古泉
 私は依頼をしていただいた企業や担当者のためにコピーをつくる。それが一番のモチベーションなんです。“あの人を支えたい”“お仕えしたい”という、奉仕の気持ちが大きいんです。だからこそ、クライアントさんに心から喜んでいただいたときはとても嬉しい。

その代わり、打ち合わせの段階で聞きたいことは遠慮なくズバズバ質問します。クライアントさんもそれに対して本音で応えてくれるようになることで、徐々に信頼関係を築いていく。信頼関係があってこそ、いい仕事はできると思っています。だから、量を作ればいいとか、システマチックな関係性を求めるクライアントさんとは自然と縁遠くなります。コピーライターという仕事は、クライアントさん自身が気づいてない魅力や想いを言葉にすること。その気づいてない部分を形にするのが、“言葉の力”なんです。


偶然が重なり、必然に出会ったマヤ暦


―古泉さんはマヤ暦アドバイザーとしても活動されていますが、実は私も以前、みてもらいました。なかなか的を射た結果が出て面白いなと思ったのですが、マヤ暦とはどんなものなのか、教えていただけますか?

古泉 マヤ暦といっても、20種類くらいあるのですが、一番重要なのが260日暦「ツォルキン」(神聖暦)です。約4000年前の古代マヤ文明ですでに用いられていたともいわれる暦です。1980年代にアメリカ人思想家のホゼ博士により、今の暦の概念がつくり上げられました。

ツォルキンでいう1つのサイクルは、260日(13×20)です。1日をKIN(キン)といい、誕生日からその人のKINナンバーを割り出します。KINには、その人の強み、使命、能力、方向性が刻まれているため、自分でも気づいていない「本当のあなた」をお伝えすることができます。誕生日から割り出すため、どうしても占いのように思われがちですが、「分ける、分類する」のではなく、「1つであることを思い出す」、眼差しがちょっと違うのかなと思います。

「自分でも気づいていない魅力を伝える」といった意味では、コピーライターもマヤ暦アドバイザーも同じなんです。

―マヤ暦との出会いは?
古泉
 マヤ暦と出会って、10年たちます。その出会いも、不思議な流れやシンクロがありました。

その頃くらいから個人発信する人が増えてきていて、「私もブログでも書こうかな」と思い始めていたときでした。何を書こうと思ったときに、もともと「月のリズム」に興味がありいろいろと調べていたので「月とダイアリー」について趣味として書いていたんです。そしてある日、そのブログ宛に多くの講座を運営している会社から、「よければ講座をやりませんか?」とメールをいただいて。そのときは反射的に「あやしい!」と警戒心が働いて、お断りしようと思っていたんです。

でも周りに相談したら、「内容的にお金をとられるわけでもなさそうだし、リスクもないんだからやってみたら?」と言われて。普段はそんなふうにアドバイスを言ってくるような人ではなかったので、背中を押されたような気がして挑戦してみることにしました。講座は「月のリズムダイエット」というもので、その講座に来てくれた最初のお客さんが、マヤ暦アドバイザーをしている方だったんです。その方が講座の御礼にと、ご厚意で「ぜひ古泉さんのマヤ暦をみさせていただいてもいいですか?」と言ってくださって、みてもらいました。

ーその方と出会うための講座だったんですね。
古泉 本当にそうだと思います。
私がマヤ暦で持っている資質は、顕在意識(太陽の紋章)が「白い犬」で、潜在意識(ウェイブスペル)が「赤い月」。「白い犬」は、自分は前に出ず、人にお仕えするのが好きな人。発表会など本番が苦手で、どちらかというとお稽古やトレーニングが好き。完全に裏方タイプなんです。「だからコピーライターをやってこれたんだ!」と腑に落ちました。

「赤い月」は、命懸けでミッションを果たす人。そして、ものすごく頑固! 新しい流れをつくる人、という意味もあります。13種類に分けられる音は「2」。すべてにおいて白黒はっきりさせたがる、人が気づかないところも見抜く力がある、という人。

全部、しっくりきました。さらに、マヤ暦と出会う8年ほど前に、『赤い月』という映画のキャッチコピーを書いていたんです。これには驚きました。映画はそれに関わる関係者も多く、キャッチコピーがなかなか通らなかったりするのですが、このときはスッと通ったんです。いつもと違う感じがして不思議に思っていたのですが、いま思えばそのときから呼ばれていたんだな、と思います。

そんなシンクロが重なり、マヤ暦をもっと学びたいと思い、それからマヤ暦を探究する日々が始まりました。なので、「月のリズムダイエット」はその一回で終わりました(笑)。でも、マヤ暦に出会うためには必要だったので、私の背中を押してくれた人にはとても感謝しています。

―マヤ暦をお話しているときの古泉さんのエネルギーがすごいですね。とてもパッションを感じます。マヤ暦は、みんなにどのように活用していってほしいですか?
古泉
 現在は講座やセッションをしながら、メルマガ配信もしています。発信しているのは、もっとマヤ暦を知る人が増えることで本来の自分を取り戻していってほしい。そのためのツールとして、使っていってほしいと願っているからです。

血液型や星座のように、もっと日常の会話で使えるようになるのが理想です。「A型だから◯◯なんだよね」とか、「あの人牡羊座だから◯◯なんだね」とか、ちょっと苦笑いしながらも話しちゃうような。その真偽は置いておいて、そんなふうに入り口としては楽しくコミュニケーションツールとして使ってほしい。

いま、いじめやパワハラなどさまざまな被害が報道されていますが、「あの人は【青い猿】だから知能が高すぎるんだよね」とか、相手をゆるしたり、認め合うツールとして使えれば、そんなことも起きにくくなるんじゃないかな、と。日本は昔から、そういった習わしあると思うんです。「狸にだまされた」なんて言葉がありますけれど、何かおかしなことが起きても、その人のせいじゃなく目に見えない存在を感じることで、見捨てずに見守っていたのではないでしょうか。

―もっと概念が広まってほしい、と。
古泉
 流行ってほしいということでもなく、コツコツと、目の前にいる人に喜んでもらうことを第一に、それに共鳴する人が自然に広がっていってもらえたら嬉しいです。

でも、個人的にマヤ暦で一番良かったことというのは、
「自分がつくり上げた限界から、自由になる」
方法、コツをわかりやすく教えてもらったことかなと思っています。

丁寧に言葉を紡ぎながらも、内側では熱い炎が燃えたぎっている。インタビューをしながら、そんな印象を受けました。まさに、「命懸けでミッションを果たす人」。そんな言葉そのもの、だと。

古泉さんは、現在64歳。実は数年前、ガンが見つかり大手術を経験したそう。手術は成功し、転移はせず寛解したものの、定期検診で新たにガンを発見。再度手術をして、現在は回復。

「生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ、運よく生かされたいま、これからの人生はオマケって感じなんです」と、朗らかに笑う古泉さん。

古泉 実は、病気になったとき誰にも言えませんでした。仕事先にもお客さんにも、母にさえ言えずにいました。最初の手術をしたあと母は亡くなったのですが、母は私が病気になったことを知らずに亡くなりました。

―なぜ誰にも言わなかったのですか?
古泉
 心配かけたくなかったというのもありますが、自分が動揺したくなかったのだと思います。病気のことを言えるようになったのは最近です。

回復したいま、日常の生活を無事に楽しく終えられただけで、奇跡と思うようになりました。大病にかかったことは、私にとってはよかったのだと思います。

「キャンサーギフト(ガンになったことで得たもの)」という言葉がありますが、ずっと悩んでいた家族の問題が、ガンになったおかげで全部“とけた”んです。

―家族の問題とは?
古泉
 子どもの頃から家族のことでいろいろ悩みを抱えていたのですが、それまでの硬直した感情が嘘みたいにとけて、ラクになりました。私自身が変わったのだと思います。

実は、マヤ暦でも「家族愛がテーマ」と言われていたんです。でもこれは絶対無理だろうと思っていたから、お墓まで持っていこうと諦めていたんです。強制的に家族との問題をとけさせてもらったのは、どう考えても病気のおかげなんです。

―そんな古泉さんが、人生で大切にしているキーワード、言葉はありますか?

古泉  『「サヨナラ」ダケガ人生ダ』です。

これは、漢詩の『勧酒』に出てくる一文です。要は、執着しないということです。究極の執着は「生」への執着。生にも人にも、物にも執着しないようにしたいと思っています。生きているうちは、なかなか難しいんですけどね。

私は子どもの頃は親の仕事の関係で転校する機会が多く、転校するたびに辛かったし、胸が引き裂かれるような思いでした。でも、案外転校したらしたで、楽しく過ごせたりするんですよね。
「死」ももしかしたら、転校と同じなのかもしれません。死んでもまた、生きることにつながるのかなって。執着せず、いまこの瞬間を味わいながら生きていたい。そう考えています。

<PROFILE>
古泉和子 Koizumi Kazuko

1960年、愛媛県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。コピーライター、マヤ暦アドバイザー。「男は女から生まれた。BIG JOHN」が「日本のコピーベスト500」に選出される。

        
・「男は女から生まれた。」
BIG JOHN 
・「あたしで、いいんだ。」映画『深呼吸の必要』
・「幸せだと、幸せに気づかなかったりする。」映画『ココニイルコト』
・「地球を、開けよう。」国際交流基金
・「母はなぜ、何人もの男を愛したのか。」映画『赤い月』
・「大人は、みんな、十四歳だった。」映画『青い鳥』
・「最後の恋、最初の愛。」映画『花のあと』
・「透明美に満たされていく日々。」
KANEBO THE EXCEPTIONAL SKINCARE・
「不完全でつくる孤高の崇高美。」KANEBO THE EXCEPTIONAL MAKEUP

 ●受賞歴
1985年、第1回HOYAキャンパス大賞·仲畑賞を受賞
「はじめてメガネをかけてきたときの君は、転校生のようにまぶしかった。」

1986年、第1回求人コピー大会(広告批評、リクルート主催)金賞を受賞
「マクドナルドが雇いたいのは、人を雇いたいと思っている人です。」

1991年、東京コピーライターズクラブ新人賞、JR東日本ポスターグランプリ’91受賞「男は女から生まれた。」(BIG JOHN) 

<Writer Profile>
竹尾園美 Sonomi Takeo

エディター&ライター。新卒から大手出版社にて雑誌編集者を経験。
「CLASSY.」や「Ray」などの女性ファッション誌のほか、「ハワイスタイル」「主婦の友」など旅や実用誌などさまざまなジャンルに携わる。

12年間の出版社勤務を経て、2016年に独立。動画メディア「MINE」編集長のほか
Webメディアの立ち上げ、アパレルECサイトのディレクションなど活動は多岐に渡る。2021年より復刊した雑誌「GLITTER」の副編集長を務める。
2023年5月に淡路島へ移住。いつでもどこでも、自由に生きながらやりたいことをやる生き方を発信中。世の真理や人の情熱・信念を伝えていきたい。