不安が現実化するのではない
現実化するのは、不安だろうが何だろうが、自分が「信じたいもの」なんだと腑に落ちることが続いている。
職場で、自分がした仕事や人への働きかけに対して、「あれでよかったのだろうか」「あんな言い方で大丈夫だったかな」「このあとうまくいかなくなったらどうしよう」と思うことが続いた。
でも、今のところ私の心配は見事に外れている。というか、周囲の反応が自分にとっては嬉しいものであることにびっくりしているとともに、その人たちを信頼していなかった自分(=自分を信じきれていなかった自分)を目の当たりにした。
エゴが騒いだり、落ち込んだり、後悔したり…でも、それらを信じたいわけではない。信じたいのは【良好な人間関係】【仕事にひたむきになれる環境】。
だから、逆を言うと、不安な事象を信じたければそれが現実となる。つまり、現実化する種類?(喜び、楽しい、嫌だな、不安だな)は関係ないというのが今日現在の私の中での結論。
それを信じたいか?信じたくないか?
ポイントは、信じられるか?信じられないか?
ではない‼︎
で、ここから分かることは、「不安になっても大丈夫!」「嫌な感情に飲み込まれても大丈夫!」ということなのです。それは、自分の信念(信じたいこと)とは別だから。これを信じたいことにしなければよい。
「悪い予感が当たった」などと言うことがあるかもしれない。でも、それは違うのではないかと今は思う。エゴを信念にしてしまい、目の前に現れたのではないか、と。
信じたいものを信じよう。
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