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「先生」と呼ばれることへの小さな違和感
ワイン講座で「先生」と呼ばれるたびに、どこか胸の奥に刺さった柔らかい棘がうずいてキュッとする。
何ともいえないこの鈍い感覚が「全力を出さねば」と即座に指令を出してくれ腹に力が入る。
「先生」と呼ばれるのが嫌なわけでも、そう呼ぶことをやめて欲しいと言いたいわけではない。でも何故かそう呼ばれると、私は、そう、少し胸がキュッとするのだ。
ワイン講座の先生
それが私の立ち位置の一つだ。
私はワインに興味のある方々に向けてワイン講座を開き、ワインについて教えている。
だが実は「教えている」という言葉は私の感覚とは微妙に違う。
講座というからには「何かについて教える」のが普通だが、私はワインの知識を教えるためだけにこの場を開いているのではない。
もちろん、ワインについて深く知ることで目の前の一本のワインが魅力的なものになり、自分の好きなワインを知ることに繋がり、自分に合ったワインを選べるようになる。
するとそのワインに合わせて何を食べようかと考えることになり食も楽しくなる。
本屋に行ったらワインに合うおつまみの本を探したくなる人もいるだろう。
食事が充実すると生活に彩が生まれる。
次はこんなワインを飲んでみよう、こんなものを食べてみよう、今度家族や友人とこの美味しさを分かち合いたい。
そんなワクワクが暮らしを豊かにする。
それは間違いないことだが、私はどちらかというと、「ワインを学ぶためにどこかに出かけ、ワインを飲みながら誰かと会話すること」が大事だと考えている。
ワインの前に人の肩書や属性は要らない
私はそう思っている。
要らないというより、そういうものを抜きにしてただの自分でいられるのがワインのある場だ。
それがワインが人と人を繋げると言われる所以で大きな魅力だと思う。
誰に遠慮することなく自分の感想や考えを話せるし(周りの人を不快にするような発言は遠慮してほしいが)、黙っているのも良い。
仮に隣の人が普段は会話をすることが無いような方だったとしても「美味しいですね」と目を見合わせたら笑いあえる。
そこから始まるちょっとした会話、なんとなく頭に浮かぶ新しいアイデア、リフレッシュ、自分が良いと思ったその美味しさやその空間を誰かと共有できた時のささやかな感動や連帯感、そういったものが心をじんわりと温めてくれると信じているのだ。
なぜなら私のワインとの出会いがそのようなものだったから。
ふいに居場所を無くして息苦しくなった時に、「美味しいね」と笑いあえるだけで安心して呼吸ができるもう一つの居場所になるのだと知ったから。
講座に集まっていただき、皆さんの前に立ち、私が知っていることや良いと思っていることについてめいっぱい精一杯伝える。
確かにその姿は「先生」かもしれない。
でも私は100%で先生じゃない。
どちらかというと私は、皆と一緒にワインを愉しみたい、それが誰かのホッと一息つける第三の居場所になることを願ってやまない、そして私にとってもかけがえのない居場所になる、そう思っているワインが大好きな人間だ。
なんて思いながら。
来月も、再来月も、「先生」をやる。
https://www.atsuko-kawada.com/event
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