メンヘラとは付き合うな

タイトルの通りである。メンヘラとは付き合うな。幸せになれないから。


メンヘラについてはっきりとした定義はないようであるため、ここではメンヘラを「恋愛において嫉妬深く、束縛が激しく、極度の寂しがりで、感情の振れ幅が大きい人間」と定義する。以降これを前提として話を進める。


メンヘラということは暇であるということだ。そして暇であるということは、つまらない人間だということだ。つまらない人間と一生を共にするのは、幸福なことではない。

メンヘラと付き合わない方がいい理由は、手短に言ってしまえばこのようになる。

以下、その理由について詳しく述べる。


暇でない人、忙しい人はメンヘラにならない。
これは実体験から導き出された結論である。

メンヘラとは付き合うな、などといったタイトルをつけておきながらなんだけれど、わたしは初めて彼氏ができた小学6年生のときから高校を卒業するまで(もしかしたら、大学入学後1年くらいかもしれない)、れっきとしたメンヘラであった。つまり「恋愛において嫉妬深く、束縛が激しく、極度の寂しがりで、感情の振れ幅が大きい人間」だった。
わたしがメンヘラでなくなったのは、忙しくなったからだ。共依存状態であった当時の彼氏の監視をかいくぐり友達を作り、バイトをはじめた。よく遊んでよく働くようになった。そうすると、当時の彼氏に割けるリソースが色々な点で減った。比例するように、彼に向ける嫉妬や束縛をしようという気力も減った。そして、相手がこちらに依存していることに耐えられなくなり、別れという形で共依存から抜け出すことができた。

このようにメンヘラでなくなった今考えてみると、メンヘラになる理由はやはり暇であるからだと思う。
地元は田舎で、両親は過干渉ぎみで、とにかく自由がなかった。また、自由を獲得しようともがくこともなかった。私立の中高一貫校に入学してからは友達と遊ぶことにも両親に良い顔をされなくなり、思えば当時の趣味という趣味もないわたしの世界には勉強と恋愛しかなかった。勉強する時間の他は、全てが暇な時間ということだ。勉強と恋愛しかない世界で暇だとどうするかというと、その間じゅうずっと好きな人のことを考えるのである。
今何しているんだろう、どこに誰といるんだろう、わたしのことを嫌いになってしまったりしていないだろうか?など。
そして、暇だと感情の起伏が恋愛でしか起こらない。
目が合った、うれしい!
他の女の子と話している、悲しい……
電話をかけてくれた!うれしい。
既読無視された、悲しい……など。
世界との関わりが好きな人しかないこんな生活では、メンヘラになるに決まっている。ならない方がおかしい。(このような生活でメンヘラにならない人間は感情が動くことがないのだろう。そしてそういう人間はそもそも恋愛をしない。)

長くなってしまったが、かくして、メンヘラであるということは暇であるということである。


次に、暇であるということはつまらない人間である、ということの理由を述べる。

まあこちらは簡単かもしれないけれど、暇であるということは、何もしていないということだからだ。
恋人のことしか頭になく、他の世界全部に興味のない人間が、おもしろいわけがない。


そして最後に、つまらない人間と一生を共にするのは幸福なことではない。

こう言うと、別におもしろい人間と付き合いたいわけではない、僕・私は自分のことしか頭にないような一途な恋人のほうが理想的だ、と言う人がいるかもしれない。でもそのような考えは夢想的過ぎると思う。
かっこいい・かわいい、大好き愛してる、あなたしかいないの(そして実際にお互いしかいない)……
たしかに付き合って数週間は、いやまあ、数ヶ月のあいだはそれで幸せだと思う。でも10年後20年後のことを考えてみてほしい。あなたしか頭になかったせいで友達もおらず、仕事も中途半端で、趣味や好きなこともない30、40代になった恋人のことを、あなたはそれでも愛せますか?


以上が、メンヘラと付き合わない方がよいと考える理由である。


またこれ以外にも、小さな理由はたくさんある。

全肯定されると、自分が成長できない
どんなあなたも好きだよ、そのままでいいんだよ、ダメでも愛おしいよ……
メンヘラ御用達のセリフである。
あばたもえくぼとは言うが、限度がある。しかも共依存の関係であると、良くない方に、楽な方に流れてしまうような気がする。
もちろん恋人に完璧を求められたらしんどいし、好きな人であれば欠点も愛おしく思えるのはわかる。しかしだからといって自分を全肯定されては成長の余地がない。
お互いに尊敬できるところがあって、お互いの隣にいるのにふさわしい人間であれるように人生を頑張ろうと思えるようになるのが、交際する意味だと思う。

自己肯定感が低いくせに承認欲求が高い
断言するが、自己肯定感が高いメンヘラも承認欲求が低いメンヘラもいない。
そしてこのような人間の相手をするのは非常にめんどくさい。
「自分なんて価値のない、ダメな人間だ」などと言うくせに、愛されないと気が済まない。(1種の試し行為なのかもしれない。)
誰だって自分の不甲斐なさに落ち込むことはあるが、何度も何度も自分が不甲斐ない人間ですということをこうも高らかに宣言されると、「そんなことないよ、大好きだよ」と言うより「そうだね、ダメだね。自分でダメだとよくわかっているのに、改善しようとは思わないの?」と言いたくなってきてしまう。

シンプルにこちらの精神状態も左右される
メンヘラは感情の起伏が激しい。
しょうもないことで怒り狂ったりすることもあるし、楽しい時と落ち込んでいる時の態度の差が激しい。(自分の感情を自分で処理するのが苦手なんだと思う)
そのような人間のそばにいると、自分も相手の感情の起伏に飲み込まれてしまう。気分が急降下する生活は、身体が気持ちについていけず苦しい。幸せにはならない。

束縛により出会いの幅が狭まる
メンヘラは異常な束縛をしてくる。
異性と連絡を取るな、異性がいる食事に行くな、などは当たり前で、過去にわたしは男性のツイートにいいねをするなとまで言われたことがある(面白すぎる)。
このような束縛を全て守っていれば、友達などできるはずがない。そして暇になり、こちらもメンヘラになり、共依存関係となってしまうのである。メンヘラ側としても、これを狙って異常な束縛をしている節もあるのだろう。
単刀直入に言うけれど、束縛って意味がなくないですか?
束縛によって出会いの場が減ったとしても、監禁でもしない限り新しい人間と出会う場は少なからずあるわけで、そこで恋人より良い人がいて、その人が恋人との安定を手放してまで一緒になりたいと思ってしまったらもうどうしようもないし、自分には適わなかったのだと諦めるしかない。そのような可能性を低くするためにすべき行為は自分の価値を高めることであって、恋人を縛って強制的に世界を2人だけにすることでは絶対、ないはず。
そこで束縛という手段に走ってしまうのはメンヘラというのがやはり根本的に自分に自信がないからであろうが、ともかく自分の自信のなさを他者に押し付ける行為は辞めるべきだ。

話が面白くない
メンヘラというのは暇だからなるものであり、暇ということは友達が少ない可能性が高い。そして友達が少ないということはコミュ障である可能性が高い。コミュ障ということは人を楽しい気持ちにする話ができない可能性が高い。そして、暇な人というのは面白くない。
ここでいう面白い話とは、別に起承転結がしっかりとあって大爆笑をかっさらえるような話のことではない。最近友達との間で起きたちょっと笑える話とかでいい。しかしメンヘラは世界との関わりが薄いことが多いため、そのような話すらないのだ。結果、メンヘラとの会話は好きとか愛してるとか言い合う意味のない(生産性のない)時間になることが多い。
そして多くのメンヘラは、そのくせに毎日電話をしたがる。
毎日電話を要求するなら、毎日相手の時間をその分だけ消費させることになるわけだから、それなりに相手を楽しませる話を考えるべきだ。
そして、話すことがないから切るねと言うと「もう私・僕のことを好きじゃなくなったのか」などと言う。お手上げである。相手を好きかどうかと、自分の時間の使い方の自由は全く関係がない。恋人のことがものすごく好きでも、1人で本が読みたい夜だってあるだろう。
しかしメンヘラと付き合っているとそんな夜は許されない。
人生を豊かにするには(もっと具体的に言うならクオリティ・オブ・ライフを保つためには)一人の時間も必要である。メンヘラと付き合うと一人の時間がとにかくなくなるため、やはりメンヘラとは付き合わない方がよい。

・(多分)付き合ってるのって自分じゃなくてもいい
最後に、メンヘラと付き合わない方がいい理由として、これがいちばん大きいものかもしれない。
メンヘラは、彼氏・彼女に対して、その人だから好きというよりは、自分を愛してくれるから好きでいる。どうしようもないつまらない人間でも愛してくれて、無理な束縛をしても自分から離れていかないから好きなのだ。
相手が彼氏・彼女である必要性はなく、愛してさえくれれば誰とでも代替可能な存在なんだと思う。
これまで述べてきたメンヘラと付き合うデメリットに耐え忍び、付き合いを続けたとしても、相手はあなた自身を愛しているわけではない。低い自己肯定感と高いプライドのギャップを埋めてくれる、都合のいい存在を愛しているにすぎない。
そのような人間のために精神と時間をすり減らすのははっきり言って無駄だ。


以上が、わたしがメンヘラとは付き合わないほうがいいと考える理由のすべてである。



メンヘラでなくなった今、はじめてメンヘラでない恋愛をしているけれど、人生の一部として恋愛を楽しむのは人生の全てとして恋愛をするよりもずっと楽しく、健全で、充実したものであると感じる。

恋人からもらうのは、生きる意味そのものではなく、朝ベッドから起き上がる気力程度であったほうがよい。


(とかいいながら、もしいま好きな人と付き合えたとして、再びメンヘラになったら面白いですけどね🎶)

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