【イベントレポート】Soul of どんと 2010(2010年8月15日)
2010年8月17日の日記を再編集して投稿します。
2010年8月15日、「胸が詰まる」という言葉を身をもって体験した。
場所は、日比谷公園大音楽堂(通称野音)。
僕は、『Soul of どんと 2010』というイベントを見に行った。
ローザ・ルクセンブルグやBO GUMBOSというバンドに在籍していた、「どんと」こと久富隆司氏の追悼イベントである。
と言っても、イベント10周年を記念した今回の『Soul of どんと』は、「追悼」というような悲観的な雰囲気はまったくなく、どんとを慕う様々なアーティストによるとてもピースフルな空気に包まれたイベントだった。
どんとのことを知らない人に為に、その出演者の一部を関連サイトから引用したいと思う。
泉谷しげる / 奥田民生 / 岸田繁(くるり) / <NARGO(Tr)/ 北原雅彦(Tb)/ GAMO(T.Sax)/ 谷中敦(B.Sax)>(東京スカパラダイスオーケストラ) / 曽我部恵一 / 中納良恵(EGO-WRAPPIN') / ハナレグミ / 浜崎貴司 / 原田郁子(クラムボン)/ 松たか子 / 宮沢和史 /ユースケ・サンタマリア / YO-KING /
一般的に有名である人ばかりを抜粋させてもらったが、これだけの豪華なメンバーがまさに「一堂に会する」というだけでも、どんとがいかに愛されているか分かってもらえるのではないだろうか。
僕がどんとという人を知ったきっかけは、忌野清志郎が出演した『Soul of どんと 2006』の映像を見たことだ。
恥ずかしながら、僕は日本語ロックが好きだといいながら、BO GUMBOSというバンドがいたことすら知らなかった。
清志郎が死んでしまってからは、そのどうしようもない悲しみを紛らわすためにYouTubeで色々な関連動画を毎日見ていた。
その中で見つけたのが、Soul of どんと 2006で『孤独な詩人』を歌う清志郎の映像だった。
誰も聴いては くれないでしょう
聴いておくれよ 悲しい歌を
遠い異国の 旅の歌を
空を舞い散る 夢の歌を
いつかは誰か 足を止めるさ
そして 目を開けたら 人の群れ
歌を聴こうと 待っていました
どこへ歩いて 行くのでしょう
ひとりぼっちで ギターを弾くよ
雨に打たれて 花の歌を
声にならない 虫の歌を
明日は空も 晴れてくれるさ
そして 目を開けたら 舞台の上
ふらり倒れて 友達や仲間たちが
ぼんやり浮かんで 消えた
星になったのさ 星になったのさ
そのイベントがどんなイベント何なのかすら知らなかったけれど、その時既に故人となっていた清志郎が、一生懸命に、ソウルフルに、<星になったのさ>と歌い上げる映像に、僕は圧倒された。
そして、涙が出た。
清志郎が死んでから僕は、人が死ぬ悲しみから抜け出すことができなかった。
自分が死ぬことを受け入れることもできなかったし、愛する人が死んでしまうことも受け入れることができなかった。
『孤独な詩人』がどんとの歌であること知ってからは、どんとの映像も色々と見た。
どんとの曲のすばらしさや、BO GUMBOSというバンドのすごさも知った。
そんな中、Soul of どんとが復活することを知り、僕は参加を決意したのだ。
―― そして当日、初めての野音は噂どおりの素晴らしい場所だった。
ハナレグミも言っていたけど、こんなところでいつかライブができたらどんなに素敵だろうと思った。
イベントは、始まった瞬間からほんとに感動的だった。
なんといってもバンド演奏の技術が高くて、曲の良さを最大に引き出してくれていた。
息子のラキタが歌う『橋の下』もよかったし、松たか子が普通に出てきて、『魚ごっこ』を歌い、普通に帰っていったのもよかった。
ユースケサンタマリアはまさに全力で『さいあいあい』を歌ってくれた。本当にどんとが好きなんだとわかった。ユースケのことが今までよりもっと好きになった。
EGO-WRAPPIN'の中納良恵が歌った『ゆーらゆら祭りの国へ』は、知らない曲だったけれどなぜだか泣きそうになった。それくらい歌に魂がこもってた。EGO-WRAPPIN'をちゃんと聴いたことなんてないけれど、この人の歌声がすごくよかった。
くるりの岸田が歌う『トンネル抜けて』も好き。だけど、この曲はハナレグミが歌うもんだと思ってた。
逆にハナレグミは『夢の中』を歌った。くるりがカバーをしてたけどあえて外してきたのかな。ハナレグミは最近聴くようになったけど、やっぱり生歌の力強さは半端ない。
僕にハナレグミを勧めてくれた女の子がクラムボンもいいよって言ってたけど、この日のライブではクラムボンの原田郁子も出た。
『昔むかし』という曲は聴いたことなかったけど、これもすごくよかった。
とにかくアレンジがすごくよくて、どんとの曲ではあるけど、自分の曲のように歌っていた。クラムボンも聴いてみようかな。
『あこがれの地へ』で泉谷しげるが出てきて、奥田民生が『もしもし、OK!』を歌う。そして、YO-KINGが『ダイナマイトに火をつけろ』を歌ったところで会場の熱はかなり高まっていた。
しかし、そのメンバーの豪華さからそろそろ終わりなのかな・・・というような不安感も漂っていたように思う。
その時、BO GUMBOSのメンバーで、キーボードを担当するDr. Kyonが信じられないことを言ったのだ。
「次はこの方に来ていただきました!……忌野清志郎ー!!」
この言葉を聞いたときの衝撃は、たぶん一生忘れないと思う。
――――
僕は、このイベントの間ずっと考えていたことがあった。
このイベントで、どんとのこともいろいろわかったような気がする。
そして、なによりも知った時には既にどんとが故人であったという悲しみを克服できた気がしていた。
しかし、その一方で清志郎のことが頭から離れず、清志郎を失った悲しみはどうしたら克服できるのだろうかと考えてしまっていた。
せめてすこしでも清志郎のことに触れてくれないだろうか・・・。
このような素晴らしいイベントが、また開催されるのを、待つしかないのだろうか・・・。
清志郎が生きていて、このイベントに参加してくれたら、どんなに素敵だろう・・・と。
そんなことばかり考えていた僕にとって、本当に衝撃的な言葉だった。
――――
日比谷野外音楽堂に映し出される忌野清志郎。
そう、それは『孤独な詩人』を歌うあの清志郎だったのだ。
僕は本当に、本当にうれしかった。
どうしたらいいかわからないくらいうれしかった。
そして僕は「胸が詰まる」というのをこういうことなんだと実感した。
涙が止まらないだけじゃなくて、息ができないのだ。
少しでも息をしようと口を開けば、言葉にならない声が漏れてしまいそうになる。
そのために僕は息を吸うことしかできず、ただじっとしていることしかできなかった。
汗と混じった涙が口に入ってくることを止めることもできずに。
本当に、本当にうれしかったんだ。
その後の、ハナレグミ、中納良恵、YO-KINGによる『カーニバル』はもう何も言えなかった。
ほんとに愛にあふれていて、最高だった。
とにかく、すべてのもの、まわりを囲む緑や、涙越しに光る照明の光までが、キラキラと輝いていて、間違いなく、その瞬間世界で一番輝いていたと思う。
そして、僕は清志郎が死んでしまったことを受け入れることができたような気がする。
人はいつか死んでしまうけれど、それはあまり悲しいことじゃない、と思えるような気がしてきた。(まだまだ自分をごまかす程度だけれど)
愛知から駆けつけてよかった。
僕の今まで見たライブの中でも、一番と言っていいと思う。 (その他の一番(笑)も書いておくと、群馬の野外フェスでみたゆらゆら帝国、初めてのフジロックフェスティバルで一発目にみた渋さ知らズオーケストラ、The White Stripes名古屋公演)
ずいぶん長くなってしまったけど、感動が思い出になる前に書いておきたかったのでとりあえず!
twitterからこられた方は、僕がラキタ君と現在同い年(学年的には一個上ですが)の二十歳であり、リアルタイムでどんとを知らない世代の書いた記事であるということをふまえて読んでいただけるとうれしいです。
乱文失礼しました。