【心の風邪をこじらせた件】
【プロフィール⑮】
プロフィールを読んでくださりありがとうございます。
田島恭子です。
プロフィール15回目は
適応障害となり
それを克服できそうになったその時
私を奈落の底に突き落とす
人生最大の事件が起きたお話です。
今回もかなり暗い話になってしまうので
心が疲れている方は
読まないようにしてください。
私は化粧品会社を辞め
またしばらく薬を飲みながら
仕事をせずに病院に通う毎日を過ごしていました。
病院にいき、先生と話して薬をもらう
この繰り返しでした。
しかし、そんな辛い状況だとしても
私は学ぶことだけはやめませんでした。
そこで出会ったのが
VMDインストラクターの資格制度です。
今までは勘と経験で
なんとかやってきたけれど
ある程度の年齢になり、
これから先、
何か自分がこれだといえる仕事を
身に着けたい。
そう思っていたところ
自分が以前から興味のあったVMDを
学べることを見つけたのです。
私はきつい体を押して、
説明会へ出向いていきました。
そこで聞く話は
とても興味深いことばかりで
私がやりたかったこと
やってみたいことが
できそうな感じがしました。
少しは蓄えもあったので
早速講座に申込み、
VMDインストラクターの
勉強を始めました。
そして、
そんなときに以前勤めていた
会社の上司が
転勤して東京に戻ってくることを知り
会うことになりました。
「最近どうしているの?」
「実は・・・・」
私は久しぶりに自分の近況を
親身になって聞いてくれる方に会い
思いのたけを話しました。
「色々大変だったんだなあ。」
そしてその時偶然にも
その元上司のある思いがありました。
それは、東京に戻ってきたら
売場づくりをしっかりとやりたいと
思っていたこと。
私を思い出して会ってくださった
まさにこのタイミングで
私はVMDを学び
元上司は売場づくりを
しっかりやりたい。
人生とは本当にこういったご縁で
成り立っているんだなと
心の底から感謝し、
安堵したのを覚えています。
そして、中途の出戻り
という立場でありながら
とんとん拍子にその会社へ
復帰する目途が立ったのです。
きっと色々と掛け合って下さったに
違いありません。
本当に、本当に嬉しかった。
私が、長い月日をかけて
仕事とは何かを学び
誰と仕事をするのかという
大切なことに気が付いたとき
それを本当の意味で
教えてくれた大恩人です。
一生頭が上がりません。
昔の知り合いもいて
意気揚々と
やめていったはずの自分が
また出戻りすることは、
何だか恥ずかしい気持ちもありました。
しかし、
元上司はあっけらかんとした態度で
田島ちゃんが
来てくれることになったから!
よろしく!
と、恥ずかしさを吹き飛ばすように
私をみんなの輪の中に
送り込んでくださいました。
あの温かい瞬間は
今でも忘れられません。
そして、
いよいよVMDインストラクターとして
仕事ができる最高の人生が歩めると
張り切って毎日を過ごし
3か月が過ぎた頃
2011年12月9日
肝硬変により腹水がひどくなった家族が
入院することになってしまったのです。
お酒が好きだったこともあり
いつかはこうなると予想はしていました。
お酒の飲みすぎだなんて
自己管理できていないからだ!
と少し憤慨しながら
入院の手続きをしたり
寝間着を持って行ったりして
病院に通いながら
仕事を続ける毎日を過ごしていました。
そして入院と治療の効果があり
腹水もかなり治ってきて
このままいけば
退院できそうというところまで
回復していきました。
病院食がまず過ぎて食べられないため
早く外にでて食事がしたいと
「今度12月24日はクリスマスイブだから
お母さんと、友人と4人でご飯が食べたい」
といって、外出許可をもらい
その日を待ちわびていました。
前日のお見舞いの時、
「明日はお昼ごろに家に帰るから
それからご飯だよ。」
と聞いていました。
そして当日、早朝。
電話がなりました。
私は寝ぼけて電話に出ると
「△☆彡☆●ちゃん、〇◎△・・・・。ツー、ツー。」
夜眠れないといって
薬をもらっていたから
きっと寝ぼけて
電話かけてきたんだな。
ああ眠い。昼まで寝ていよう。
そしてお昼を過ぎた頃
ようやく目覚めた私が時計を見ると
12時をとっくに過ぎている
おかしい。
病院に電話をかけました。
すると、看護師さんが
「まだ寝ていますよ。」
「そうですか。
興奮して疲れてしまったのかな。
じゃあ私も疲れているから
もう少し待ってみます。」
休もう。
普段の疲れもあって
うとうとしていると
しばらくしてまた電話が。
その1本の電話が
私を奈落の底に突き落としました。
「もしもし、●●病院です。
田島さん、今すぐ病院へ来てください。
詳しい事情は後ほど説明しますが
頭部の緊急手術をすることになりました。
ご家族の同意がすぐに必要です。
なるべく急いできてください。」
え?
これは何かの間違いだ。
私は自分にそう言い聞かせながら
気のみ着のままで
急いで病院へ向かいました。
母親と友人に事情を説明し
今日のご飯はなしになったから。
まずは私が病院に行って
様子を聞いてくるので
また連絡するから
来なくてもいいよ。
と連絡を入れました。
冷静さを装っていながら
実は私の頭の中は真っ白でした。
どうやって病院に行ったのか
記憶がありません。
病院へ行くと
ICUに通され、
病室で先生から紙を渡され
こう説明を受けました。
今朝がた早く、
廊下で寝ているのを
看護師が見つけ
大丈夫ですか?と聞くと、
「廊下で寝ちゃった」といって
ベッドに自力で戻られました。
そして午前中になって
気持ちが悪いというので
調べてみると硬膜下血種でした。
おそらく廊下で転倒した
可能性があります。
もう意識がなく、手術をするしか
救う方法はありません。
同意の上、
ここにサインをお願いします。
とても簡潔な淡々とした説明。
私は状況をちゃんと把握しようと
必死に先生の言葉をたどって
自分に言い聞かせながら
話を聞いていました。
助かる見込みは手術するしかない。
私は恐怖と不安に襲われながら
その紙にサインをしました。
真っ青な顔で意識を失い
手術室に運ばれるのを見届けて
「これが最後かもしれない。」
と思いながら
狭い待合室で
長い手術が終わるのを
じっと待っていました。
その時の情景は
今でも忘れられないのですが
ソファに座り、
足と手を伸ばして大きく伸びをし
「わたし、どうなっちゃうんだろ。」と
真っ白な天井を見ながら
無理やり口角を上げて
独り言をつぶやきました。
時計の針が進むのを
あんなに遅く感じたのは
人生で初めてでした。
手術は何時間にも及び、
しばらく待っていると
待合室のドアがガラッと開きました。
そこに立っていたのは母でした。
私は涙を抑えることができずに
それでも涙がこぼれないように
天井を見ながら
「大変なことになっちゃったよ。」
とひとこと言って
またソファに座り
母と二人、
時計の針を追いかけ
じっとじっと
ただ手術が終わるのを待っていました。
*******
みなさん、
不測の事態はいつ何どき
やってくるかわかりません。
自分は大丈夫、と思っていたら
今すぐにその考えは捨てて
まずは保険に入りましょう。
人生山あり谷あり。
谷だって自分の人生です。
自分の責任で
切り開かなければ
なりません。
仕事を中心に過ごしていた私が
これを機に
本当に自分にとっていい人生
いい生き方とは何か。
真剣に考えるきっかけを
与えてもらいました。
それからまた
私の戦いの日々が始まります。
今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございます。
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