魂のたべもの。 前編

「何か食べられそうなもの思い付きましたかね?」

食べられそうなものと小さな声でつぶやいてみる。質問の答えを探すために思考を巡らせようとした瞬間、強烈な違和感に襲われて梓は思わず立ち上がった。周囲を見回すが、喫茶店のような、会議室のような、あるいはいっそ自分の部屋のような印象しか掴めず、何があるかがうまく把握できない。不思議と恐怖感はなく、とにかく自分がここに来るのは初めてではないことだけは理解できた。視線を落とすと、テーブルの向かいに座っている男性が、驚きもせずに人懐っこい笑顔で質問を繰り返した。

「何か食べられそうなもの思い付きましたかね?」

座るように手振りで促す彼の笑顔につられるように、椅子に腰を下ろす。ひとつ深呼吸をして、唯一手応えを持って認識できる彼からの質問についてもう一度考えてみる。食べられそうな物。食べる、ということは知っているが、実際に自分が食べるもの、と考えると急にイメージがバラけてしまう。好きな食べ物は、チョコレート。チョコレートのはず。

チョコレートなら。

出したはずの自分の声は外側から自分の耳に届かず内側でだけ反響しているような不思議な音として頭に届いた。聞こえたか不安になり、正面にいる彼の顔を伺う。

「チョコレートは後で食べましょう。ここでは食べられません。」

笑顔を深めた彼にそう言われ、自分がなにか間の抜けたことを言ってしまった気がして、梓は思わず顔を伏せた。

「チョコレートはここでは食べられませんよ」

優しく教えるようにゆっくりと発音された彼の声は心地よく、梓はそっと顔を上げた。

メニューとかがあるってことでしょうか?

チョコレートと言ってはみたものの、実際に自分が何を食べられそうかもよくわからず、しかもどうやらここでは食べられるものと食べられないものがあるようだ。メニューとまでは言わなくても、ある程度の選択肢があると嬉しい。恐る恐る尋ねた梓に彼は困ったような笑顔を浮かべた。

「今日は、ここがどこだか覚えてないパターンですかね。」

彼の声のトーンが少し暗くなった気がして苦しくなる。今日は覚えていない。その言葉が引っかかるが、何を覚えていないのかすら手掛かりがなく焦る気持ちが募る。

「ああ、そんなに気に病まないで下さい。梓さん、3回に2回は覚えてない状態ですから。むしろ、3回に1回は自覚した状態なのが異常です。」

ここは、そういう場所ですから。彼の温かく優しい声を聞くと、梓の目に涙が滲んだ。

「ああ、もう本当に梓さんはすぐ泣く。」

彼はどこか嬉しそうにそう言うと、真っ赤なお鼻のトナカイさんは〜♬と歌いながら席から離れていった。その歌声を聞いていると、梓は不思議と少し気持ちが落ち着いてくるのを感じた。泣くと鼻が真っ赤になる梓は、泣いた時によく赤鼻のトナカイの歌を歌いからかわれたものだ。からかわれたってでも誰に?冷静になった頭に浮かんだ疑問を追いかけようとすると、ずきんと頭が痛んだ。

「ああ、無理に何かを思い出したり考えたりしないでくださいね。」

梓が痛む頭を押さえていると、戻ってきた彼は慌てた声を出しながら梓の目の前に一枚の紙を置いた。

「大丈夫です。覚えていない時はこちらから説明するので。説明を聞けばすんなりと考えられますから。今回の魂の食べ物について。」

たましいのたべもの。梓はその言葉の響きに気持ちがざわつくのを感じた。知っている、私。魂の食べ物。

「簡単に言うと、普段の体を支える食事の、まあ魂版ですよ。魂っていうと怪しいかな。えっと、心とか精神とかでもいいです。」

気持ちの栄養源になるものってことかしら。

梓が恐る恐る声に出すと、彼は嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「そうです。その通りです。体を食べ物で支えるように、魂も栄養不足にならないようにしないといけないのでね。」

彼の視線を追うように目線を落とすと、梓は自分の手首の骨張った様子に気味悪さを感じ小さく息を呑んだ。

「梓さん、自分の手首嫌いだって言ってますもんね。魂の痩せ具合は大抵本人が嫌いな部位で認識されるので。」

俺は頬が痩けたりしてましたよ。口を縦に開き頬をムンクの叫びのような表情をした彼を見ると、梓は思わずクスクスと笑った。

「さて、そちらの紙に書いてある通り、魂の食べ物は人それぞれです。愛情だったり、夢だったり、希望だったり。」

梓は先程彼の手によって目の前に置かれた紙に視線を落とした。可愛いイラストつきの説明書のようなもので、しょんぼりしている顔のイラストが最初に書いてあり、その子がハートやふわふわした雲のようなものや星のようなものを食べると、笑顔いっぱいになっている。梓は急に理解した。おそらく自分はほとんど毎日この部屋に来て、目の前の彼に同じ質問をされているのだ。顔を上げると、正面から彼と目が合った。

「さて、梓さん。あなたの魂のたべものは何ですか?」


魂のたべもの / ももいろクローバーZ

♬魂のたべものは何ですか 何ですか 魂のたべものが 愛ならば それが愛なら それが夢なら 希望ならば  私だってもう抱きしめているよ この手にいま


ももクロのリーダー、百田夏菜子さんの初のソロコンサートの1曲目を飾った、魂のたべもの。その歌声とダンスのあまりの切実さに、魂のたべものは何ですか?と直接問いかけられている気持ちになって涙が止まりませんでした。その気持ちを拙い物語に込めて。後編に続きます。


いいなと思ったら応援しよう!