株式会社アナザースカイ1chapter1
【アラタさま。初めての御利用。無言コース。はけ口後アドバイスコースを追加。9時5分着電。ファースト声ジャンル「泥沼」】
「離婚しようと思ってるんです……離婚。したいなって」
『離婚』の言葉を、自分の声で、自分の耳で受け止めたときアラタは、「私ほんとに離婚するんだ。」と腹の底でストンと重く軽い音がしたのを確認した。それは、
「りこんて、りから始まるせいか思いの外、凛とした涼やかな音がするな」のあとに。
「シングルとかいって、性格の不一致とかいって、円満離婚とかいって笑ける。逃げじゃん。性格が完全合致する人間がいるなら今すぐここに連れてこいよ。てか、円満て。離婚するのに円満もくそもあるか。
円満結婚からの円満離婚。
おあとが宜しいようで。笑ける。」のあとに。
ストンと、重く軽い着地音を奏でた。
自分の声はこんなにも重い、泥を含んだように重い濁ったら声がするのかと、録音した自分の声を、スピーカー越しに聞くときとは全く違う気持ちを抱いた。
プラス、何年ぶりかに再会したタバコは夕方には箱が空になる本数を叩きだし、喉が常にヒリヒリする。
やっと絞るように吐き出す声は、重く濁り掠れる。
色々全部ギリギリ。
人生を変える決断を腑に落とすとき、腹の底ではそんな音がする。初めて知ったことであった。
微かに、
「ほんとにいいのね」
と、誰とも知れぬ声を聞いた。
いるのかいないのかいまだ知りえぬ神の声か、一番仲の良い苦楽を分かち合うママ友ケンコの声か、または70を過ぎ「結婚し子供を産み平凡な生活を送ることこそが女にとって一番幸せなこと」と唱える母の声か。
腹に着地したストン音には、その誰かの声を、温情しかないアドバイスを、要らぬ説教を内包している気配を感じた。
説教でなければいい。
「女にとって一番幸せ」そのディープインパクト。
70を過ぎる母の時代錯誤甚だしい、内情をまるで理解しようとしない、できない、錆びた頭脳から繰り出される錆びた説教はほとほと勘弁願いたい。と思った。
ぐうの音を挟む余地のない正論と、彼女を数十年支えてきた、バックボーンとなる正義『結婚と子供は女の至高の幸せ。』は見えない速度でアラタの心を蝕み、洗脳し、自由を奪う。奪ってきた。奪い続ける。
母親の幸せがイコール子供の幸せではないという、バカでもわかる真理を、盲目な教祖さまにお伝えするエネルギー。は、アラタの中をもうとっくに尽き去ったのだ。