株式会社アナザースカイ23

アラタはスマホの白い吹き出しの『了解』を見つめ、奥歯を、今度は意識的にギリギリと噛み合わせる。大丈夫大丈夫大丈夫。

「ではではー、いってきまーす。ちゃお」

ほぼ90度に腰をまげたまま、バッグを握り、娘に親指を立てる。

「いってらっしゃーい。気をつけてねー。ママってさー、まじ強いよね。おみやげ買ってきてー。」

満面の笑みを見つめ返し、艶やかな前髪と、誰譲りなのか知れない知的な目を見つめ返し、朗らかで麗らかな初春のような娘の声をきちんと受け止め、アラタは、私はいまきちんと笑えているだろうかと思う。
思い、「ママってまじ強いよね」それが何よりの答えであると、心底、安堵する。

ほぼ100度に腰を折り曲げたままスニーカーを履き、玄関をあける。
額や頬に水滴が当たる。雨。

地続きの、一塊の肉体の、その一部である胃が痛みに叫んでいても、雨を受け止めた肌は、胃痛には無関心に

「寒い」

と震え鳥肌をたてる。脳は、胃痛には無関心に

「子供達心配」

と不安を煽る。心は、胃痛には無関心に

「つらい」

と胃痛を増長させる。

(走馬灯が音声つきだったとは。)

眼前のその人の美しい瞳と向き合う。
しんとした静寂の瞳、少し猫背の、若き日々をスポーツに励んだ肉厚な、大きな体。
見つめ返しても、彼がなにを訴え、なにを諭し、なにを導かんとしているのか。その美しい瞳からは読み取れず、ただ、アラタは、いま目の前にいるはずのないその人と見つめ合い思う。

(私ってやっぱり父に似てるのね。目の色がそっくり。)

かつて味わったことのない頭痛を抱え、数時間前、親身に対応してくれた医師の言葉を反芻する。

雨のなかを運転し病院につくとアラタは、
(ごめんなさーい。見逃してー。)
夜間救急窓口に近い優先車両専用の駐車スペースに車を停めた。
これでもかと斜めになった車体を、白線に沿わせるための気力はなく、斜めのまま、傘をささず受付窓口へ向かった。

診察のあと、CTを撮り血液検査をし、血液検査のいかんでは造影剤を投与しての検査に進む。と説明を受けながら痛み止の点滴を流し込んだ。

気づけば看護師から声をかけられるまで眠り、気づけば胃は微かな鈍痛がする程度に落ち着いていた。
点滴が繋がった右手ではなく、左手でスマホの電源を入れる。電話もラインも、どちらにも着信を知らせるマークはない。

笑った。

口角が無自覚に上がった。
口角が上がるとき、口内で、唇の内側と歯茎が、唾液を交えて擦れ、擦れたことで湿り気のある音が聞こえた。だから、自分は今、笑っているということを自覚したし、それが証拠にすぐそばで処置を施す看護師から、
「大丈夫ですか?よかった笑ってくれるようになって。相当辛そうでしたもんね。頑張りましたね。よくまあ運転してきましたよねー。でも、今度は救急車呼んでくださいね。危ないですから。ね。」
と温情のある声をかけられアラタは、やはり自分は笑っているのだと確信を得た。

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