いつも、全部おいしかった。【chapter87】
シャインマスカットは、パールタイプのころころかわいいモッツァレラチーズと、それに合わせたサイズにカットしたアボカドを、オイルとレモンのドレッシングで和え、フルーツサラダにしようとソノコは考える。
アクセントは粒マスタードか、胡椒をガリガリするか、その両方か。
塩味は強めがいいだろうと、その点だけは確信がある。ミントあたりのハーブを、力強い彩りと爽やかな風味のために添えたいと直感したけれど、濃緑よりシャインマスカットの美しく瑞々しい淡緑を活かすことを優先したいとも考える。料理は味覚より前に、視覚から、嗅覚からおいしいを刺激する場合が多い。
きっとシャインマスカットの甘味は、フルーツサラダのフルーツの方が強調されるであろう豊潤な甘味があると思う。甘味を活かすのには塩味が必須だと思う。塩味が甘味をより際立たせる。一番最初のインパクト、甘味で味覚を元気にしたら、塩味はしみじみと食欲を増進する。甘くてしょっぱいは最強の正義。と、ソノコは祈りを込める。
はしりのマスカットは、そのまま食べるのが一番おいしいだろうと、小賢しく手を加えるより、潔くそのまままずは食べることが何よりのご馳走だと、そんなことは百も承知よ。と、ソノコは理解している。
*****
「旬の食材には栄養がつまってるから、旬のものを食べなさいって、よく言ってたよね」
「ばばあな」
ほのぼのと表現するのが最適であろう、兄弟の和やかないつかの会話をソノコは思い出す。
クルクルと。カタカタ淋しい音をたて走馬灯は回り続ける。
あれは、ぬたを夕食に並べた夜だった。
ホタルイカと独活のぬたを小鉢に盛って主菜に添えた。「お前の風貌とその派手なマニキュアが塗られた指からこれが作られるって意外だよな」「リョウくん文句言うなら食べてからにしなさいよ」「食べてみた、小鉢じゃなくて丼で食べたい、うまい」
リョウの声が耳の奥、脳に近い位置で聞こえる。
「リョウくん、仏にばばあはやめとこうか」
「ミサオは、うまかった」
「そうだね、料理が上手だったね」
「ただな、アクも栄養のうちとかほざいて、あいつはアクを取らないんだ。煮物でもアクが煮えたぎってるのに掬わないんだよ。
背伸びして鍋のなかのぞいてさ、見るからに栄養の一部にはなり得ない澱みがさ、ブクブクしてるんだよ。
これなんとかしろよって文句言うとさ、気に入らないならリョウくん自分でやりなさいよ。あなた手先が器用なんだから。ってさ。栄養のうちって、あれ、あいつの手抜きの常套句だよな。俺はあいつが作った独活の酢味噌和えで腹を壊したことは忘れない。調べたんだ、独活のアクは下痢を起こすことがある。あいつに文句言ったら、リョウくん食べ過ぎたのねって片付けてた。ちゃんとアクを取れよって言ったら、アクは栄養のうちって、伝家の宝刀だ。小賢しいとこあったよな、ばばあ」
「リョウくん、クレバーだよ。クレバーって言ってねってリョウくんよく言われてたよね」
「うるさかったよな、物腰が柔らかいから誤魔化されるけど、あいつはうるさかった。あれこそばばあの知恵袋的に。二言目には、目にいれても痛くないほどの愛をリョウくんはまだ理解できないのね~。とかほざいてな」
会ったことのないその人の話を二人は、好ましく話していた。タカシから聞くより、リョウから聞くより、二人が彼女のことを思い出し語り合う光景をそばで見つめ、聞くことが嬉しかった。彼女のなにかしらが、二人の宝物となっていることは明らかだった。
******
ソノコはあの、終わりの始まりになるであろうと、どこか遠くで感じていたあの夏の日、あえて、小賢しくひと手間をかけた夕食をタカシに食べてもらいたかった。
シャインマスカットのポテンシャルだけに頼るのではなく、そこに祈りを込めたひと手間を加えおいしい栄養にして欲しいと願った。
おいしいが、なにかしらの背中を押すのか、またはなにかしらをとどめたかったのか、それともただ、タカシから
「おいしい、また作って」
を聞きたかっただけなのか。わからないままに、フルーツサラダに必要な食材を全て買った。
細長い、透明のパックに詰められた、色の濃いミントを、買い物かごの一番上にのせた。後で仕上がったフルーツサラダを見て、やはりミントの存在が必要だと自分は思うのではないかと、直感があった。
「うまい」
夕方か夜には来るらしいリョウの、うまい以上でも以下でもない、なんの装飾もない、リョウの素っ気ない言葉が聞きたいと、その密やかな願望が思考の片隅にひっそりと鎮座していたことを、火を見るより明らかなそれを、始まりから自分の中にあった気持ちだと決めてしまうにはあまりにも受け入れがたい迷いがあった。
フルーツサラダにはミントを足すべきか否か。
それと同じくらいの迷いだった。
リョウ【chapter43】加筆減筆の上、再度アップロードを申し上げ奉り候う
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?