株式会社アナザースカイ22

からの

○○○○年○月○日、午前3時。

寒いも暑いもなく、床に横たわり一人で、一人でアラタは
『美しいってこういうこと』
と、壁と天井を見つめ、ダイニングを照らすダウンライトの光を見つめ、優しく温かく穏やかに静かに「死ぬのこわい」と頭を両腕で抱き、走馬灯を眺めた午前3時。

『私がいちど死んだ日』



その日、朝からの胃痛にアラタは辟易していた。

『頑張れ。頑張れ私の肉体。』

念仏を唱えるようにあばらに手を当て、(大丈夫、大丈夫。いける。私はそんなヤワじゃない。健康は私の取り柄。)
引退会見で涙を拭い『限界。』と呟いた力士が浮かんでは脳裏から振り払った。

夕方、夜ごはんの支度を滞りつつこなし、娘二人の食事を見届けた。

「おなかいたいの?」
「痛いけどぜんっぜんだいじょぶよ。ぜんっぜん大したことない。へーいき。」

ごちそうさまでした。かたづけ。

アラタの胃痛は日中のしとしとが、19時を回った頃、どしゃ降りに変わった。

食器を洗う水を流したまま、シンクに掴まり、強く目を閉じる。
呼吸を止めれば柔らぐかと、息を詰める。無意識に噛み合わせた奥歯がひしゃげた音をたて、その音を聞き、アラタは陣痛を思い出す。

21時間、5分おきに押し寄せた陣痛は、辛かったけれど、あのときは
「これを乗り越えれば赤ちゃんに会える。」
希望があった。
だから乗り越えられた。
痛みは希望というゴールがあったから乗り越えられたのであって、希望もゴールも見えなければただ過ぎるのを待つだけの苦行に過ぎないのだと、奥歯の音を聞きアラタは目を開いた。
時計を頻繁に見上げ、そろそろ胃薬が効き始める頃だと、大丈夫、を繰り返す。

大丈夫を繰り返し腰を折り曲げたまま、水を止め、スマホを取りにシンクを離れる。(ギブ。無理。限界。)

最寄りの総合病院の夜間救急へ今から向かう旨を伝え、夫の電話番号を発信履歴から叩く。留守番電話。LINEを震える指で叩く。

『胃痛夜間救急車にこれからいきますことま達おいてくので帰ってきて下さい』

YouTubeを見ている娘たちに、
これからママお医者さんに行くたぶんお注射になるからおそくなるけどパパがすぐかえってくるからだいじょぶだからねいい子にしててね
伝えていると、左手に握ったスマホが震えた。

『了解』

夫からのメッセージ。
胃痛のどしゃ降りに雷が加わる。

どのように病院までいくのか?自分で運転を?どこの病院なのか?というかどのような容体なのか?いつから?それほど痛いのか?これから帰る。気をつけろよ。

ちがう。たったひとつでいい。

大丈夫?


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