株式会社アナザースカイ42

アラタの幼少期から父親のことを、本人には聞こえない距離で、お天道さまが射さない真っ暗な場所で「変人」と侮辱する母親。
母がモゴモゴと口を歪めながら滑舌悪く発するそれを、アラタの、異様にポテンシャルが高い空耳は「賢人」か「仙人」と捉えた。捉えるようにした。捉えるよう心がけ父母と接してきた。

口角がいつまでたっても上がらない真一文字の父親の唇を、その回りの整えられた髭をアラタは見つめる。
成人してから滅多に聞くことがなくなった父の「きちんとしなさい。」
きを発するために口が開くことはなく、かといってお説教の火を腹に抱えていると認識できない表情で父は娘を見つめる。

(怒ってないならなあに。)
アラタは思案し、思案を深めるほどに目が潤み、こめかみを濡らす。どんなに涙で瞳が潤んでも視界がぼやけることはなく、クリアに父親の表情は見える。
怒りでなければ……。

こういう場面においてドラマや映画や小説、音楽であれば人生のなんらかのトリガーとなりうるための言葉が注がれるはずだと思う。例えば「アラタサンあいしてる。」とか。それはいずれ運命をガラリと変えうるパンチのラインとなる。
しかし、父親の唇は開く気配のないまま結ばれ、ぼんやりとは明らかに違う、真っ直ぐな視線を娘に注ぎ続ける。

きちんとしなさい。でもアラタサンあいしてる。でもないのであればなんだろう。と、アラタは思考を深め、掘り、深淵に近づく。
なにか言いたそうな目で物言う父の瞳と向き合う。
ちきんでもあいしてるでもないなら。慈愛でも叱咤激励でもないなら。

『そこかな?』

父の声。
(そこかな?え、そこかな?……そこかなて言った?……トトー。)
そこかな?そこかなとはボトムの意味合いかまたは。

クローゼット。


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