株式会社 アナザースカイ 10

グラスの中の赤を見つめ、ヒールの爪先を隣の男のすねに当てたまま、LINEの4文字を思う。
温度を伝えないゴシック体のそれを思う。

『結婚する』

隣の男が、
向かいの女友達が、
レッドアイが、
店員の「いらっしゃいませ、こんばんはー。」が「ありがとうございましたー。お気をつけてー。」が、
バックグラウンドの、ヒロトのシャララが、
遠くなる。

アラタは、金曜日の賑わいを離れひとり、記憶を辿る。

アラタはフルタの、彼の、人生最後の彼女の存在を知っていた。

なんなら1度だけ彼女に会ったことがある。
シンカンセン時代の男友達の、結婚式の二次会に、フルタは後に妻となる彼女を連れてきていた。
歴代の彼女達をほぼ知っていたアラタが、その彼女と挨拶を交わしたあと一番に思ったことは、

『やっぱり恋愛と結婚は別ってほんとなのね』

だった。

それまでの彼女達の、顔の造作から体型から雰囲気。性質。それらをきれいにひっくり返したような彼女だった。

控えめで女らしく、口数が少なく、常時ピースフルな微々笑。体型に比例しない胸。

つまり平たく言えば……
アラタが、自身の自尊心を傷つけないために真綿に包み、さらにオブラートできっちり包み込み腑に落とした結論は『私と正反対。』だった。

(平和。見てるだけで癒されるわ。男の理想の最終形態インザハウス)

終始、ホットジャスミンティーを飲んでいた。
アラタはその頃、自分の中だけで流行っていた紹興酒の緑茶割りを、そのグラスの水滴を見つめた。
(一体、何杯目よ。そして、何杯飲めば酔えるのよ。)

正確にはその店には『紹興酒の緑茶割り』がなく、紹興酒と緑茶それぞれを注文し、紹興酒を数口飲んでできた余白に緑茶を注ぎ完成する、自作のそれを飲んでいた。
マドラーは左隣の男友達のそれを勝手に借りた。
いいやつだけれど潔癖で神経質な男友達の「アラタ、それ俺の」に「アイノウ」と親指をたてた。

離れた席の男友達が、
「全てが雑ー、いかちー、男より男ー、アラタの男っぷり永遠に健在ー、フルタ見てみー。オクサンの隣のイカれた女をー、」
と、酔っぱらいにしか出せないボリュームの声で、赤ら顔で笑った。

「うるさいから黙って」
いつものノリ、いつもの笑いを返せない自分に、微かに動揺した。
無言で、赤ら顔の男友達に中指をたてた。

隣の、絵画のような静止画のような微笑を見つめ、微かに香る甘い香水を嗅ぎ、手元の微々湯気のたつホットジャスミンティーを見つめ、薬指の微妙にクラシカルな指輪を見つめ、

(ジャスミンティーの方が合うわよね。緑茶なんかより。)

ぼんやり考えた。

(首筋の甘い香水に鼻を埋める。唇を当てて、甘く噛む)

考えていたとき、

「で、お前それなに?うまい?真似っこしてい?」

美女というより美少女が相応しい、ルネサンス絵画の隣の隣。
聞き慣れた、活力的な低音を聞いた。

アラタ。と呼ぶ人は時々、ご機嫌が良いとき「お前」と呼んだ。
けれど。
その時ほどフルタからの「お前」をザラザラ耳障りが悪いと、耳をふさぎたくなったことは、後にも先にもない。

「んー、紹興酒の緑茶割り。いまいちよ。
緑茶よりジャスミンティーの方が相性いいと思うわ。うん。

ジャスミンティーの方が合う。

緑茶より断然。絶対。
紹興酒とアイスのジャスミンティー頼む?」

アラタの声もまた、ざらついた。
喉が熱かったのは、濃いめの紹興酒で焼けたせい。なのだと思う。紹興酒を飲み過ぎた。から、喉はその夜ずっと、熱く痛かった。

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