株式会社 アナザースカイ 12

不謹慎を承知で正直なことを言えば。

途中から眠くなった。そう。眠くなる、フルタの声は。

定例の問わず語りはいくつかのパターンがあったけれど、
「答えを求めていない。」
「聞いてくれるだけでいい。」
の時。
アラタは、ただ、相槌だけに徹した。

LINEの文字に音声をのせられるなら……ボリュームを「きいてる?」と問われるほどに限界まで下げる。そもそも低音のアラタの声は重静低音となる。ただ心地よくフルタへ届くことだけに注力する。

口を挟まず、話の腰を折らず、肯定とも否定とも言えない相槌。
塩梅によっては冗談と思い出話をはさむ。
悩みや迷いを抱えているとき、掴み所のない未来の話は、どんなポジティブな内容でも余計なプレッシャーになる。
苦しいのは過去でも未来でもなく今だから、今の苦しみを和らげるための
『それでもやっぱり明日はくる』
は、
『それでもやっぱり明日はきてしまう』になる。場合があるから。
だから未来の話はしない。

『どした?』から始め、『うん』『そ?』『そう』『笑』『ね』をフルタがつくる余白に挟み、『涙』の出番がなかったことに安堵する。
そして、どのパターンの問わず語りでも、必ず、定型で末尾に据える言葉たち。
なにを忘れても、これだけは忘れないでと祈りを込め伝える言葉たち。

『フルタはいいやつ。人としても男としても。私は好きよ。いつもかっこよくて憧れる。』

洗脳でいい。

洗脳の洗脳たる真髄は「洗脳されていることに気づかない」ということ。まるで、元々自分がもっていた感情や思想だと思わせるところまで昇華させる洗脳。
洗脳でいい。
希望へ繋がる洗脳を、永遠に止まらないシャワーのように、肌に心地よい霧雨のように浴びせ続け、気づかぬうちにフルタの自信となれば、アラタズミッションコンプリート。

『またまた』
『照れるわ笑』
をもらい、末尾に笑がつけばそれでいい。
終盤にフルタから、

『ねむくなってきたー』

を聞ければいい。
それは、長い長い、なんにせよアラタにとって幸福な問わず語りを閉じるときの、
『アラタいつもありがとう』
よりも、
『ごめんね』
よりも、
『ねむくなってきたー』
には意味があった。

今夜というその夜を、
フルタが1時間前より確実に軽くなった心で眠ることができる。それを確信できる『ねむくなってきたー』

眠気覚ましにアラタは、
「私達の歴史は何年になるのかしら」
と年月を数える。
はじき出されたその数字を、そっと赤ん坊を抱きしめるように包み胸にしまうと、アラタの唇から、甘く、吐き出すのが惜しい程のメロウなため息がこぼれた。

その歴史は、

新緑が濃緑に変わるまでの、

波の満ち引きを聞きながら見上げる弓張りの月が満月になるまでの、

チョコレート色の葉が樹木を離れ落葉となるまでの、

積もった雪が1度氷になり花時雨に溶けるまでの、

長くて短い、刹那を重ねた永遠。
取り立てて特別なエピソードのない二人の、特別な歴史。

#株式会社アナザースカイ

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