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愛するということ

この課題について、数えきれない人達が考え、悩み、答えを出して来たことでしょう。

好きだという感情
やってあげたいという献身
すべてを受け止める無償の愛

皆それぞれ、自分なりの愛の形がありますよね。

もちろん時に愛は暴走し、人を傷つけてしまうこと、疲れ果て空しくなるなど、愛に振り回されてしまうこともあります。

愛に飢えているが故に、相手に自分の残りの力すべてを愛として注ぎ、ほんの少しでもいいから愛を向けて欲しいと願う。そんなこともあります。

とても幸せを感じる愛、とても苦しみを感じる愛、様々な愛のかたち。

私もこれまでの経験を通じて、一つの結論に至りました。その私なりの愛の形は

「関係を切らないこと」
「ただ受け止めること」
「そのために相手を理解し続けること」

これは、11歳まで言葉を話さず、およそ理解し難い行動を続け、そして突然居なくなった我が子との時間を通じて感じた事です。

関係を切らないこと。親子の間であっても、その縁を切りたくなる事はあるでしょう。暴力を受けるなど生命の危機があるのなら、必要な事でもある。

また、家族でなくても、例えば職場の同僚なら異動すればその縁はかなり薄くなるし、何年か経てば忘れてしまう。交友関係でも、一度別れてしまえば直接的な縁は無くなります。

でも、別れた家族の無事を祈ったり、昔お世話になった先輩や後輩の活躍を祈る時、心の中は愛で満たされています。それは、目に見えない存在になったとしても可能なことであり、自然に湧いてくる感情です。これは、愛するということの一つの形だと思います。

ただ受け止めること。よく言われることですが、解決手段を聞きたいのでは無い、ただ話を聞いて欲しかったという気持ち。

この、ただ話を聞くというのはとても難しいですよね。つい余計な?アドバイスの一つでも伝えたくなる。それが愛情だと思うから。

でも、相手が望むものは答えじゃなく、安心なのかもしれない。答えを求めている様で、実は自分で密かに持っている答えと同じだという安心が欲しいのかもしれません。

答えは常に、相手の心の中にある。こちらは自分の言いたい、何とかしてあげたいという欲望を可能な限り抑え、寄り添い、ただ受け止める。そんな態度は相手に大きな安心を与え、自分で考え再び立ち上がる力を持たせてくれる。その在り方は、愛するということの一つの形だと思います。

そして、関係を切らず、すべてを受け止めるために必要な行為が、相手を理解し続けること。

相手が何を望んでいるのか?
欲しいと言っている言葉の奥には、何があるのか?
言葉に出さない背景には、何があるのか?
あの言葉の背景には、何があったのか?
あの時、相手は何を感じていたのか?

ひたすらに相手のことを理解し続ける。

自分と相手の違いを認めない世界は、自分と違う部分が多い存在を排除する。分断が生じる。

真の理解は、自分と相手は違うと自覚する事から始まる。違うと思わなければ理解しようとも思わず、すれ違ったまま。関係は続かず、とてもじゃないが受け止めることはできません。

なんだかまとまりのない文章になってしまいました。やっぱりこの課題は、一言で語れるほど簡単では無いし、私の理解もまだまだという事ですね。

愛するということは、
愛している状態
「関係を切らない」「ただ受け止める」
愛するという行為
「理解し続ける」

というのが、今現在の私の思いです。
月命日の今日、書き残して置こうと思いました。

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