幼い頃の自分との会話
心理カウンセラーの扱うゲシュタルト療法に、エンプティチェアという手法があります。
自分が椅子に座り、向かいにもう一脚椅子を置く。
そして、自分が対話したい人や物を、向こう側の椅子に座っていると想像して、自分の思いを話しかける。思いを言い尽くしたら、反対側の椅子に移動して、今度は先程話したことを相手の身になって答える。
この手法で私は、子供の頃の自分と対話してみました。すると、少しずつ当時の光景を思い出してきました。
喘息持ちの、ひ弱で内気な子。
発作が出るたびに、母に叱られている。
「何やってるの? 早く学校に行きなさい」
(息が苦しい…)(歩けないよ…)
「学校行けないのなら、はっきり言いなさい」
(言っても休ませてくれない…)
「喘息なんて病気じゃない、気が弛んでるだけだ」
(自分が弱いからダメなんだ…)
(弱いところは見せちゃいけない…)
あの頃、足の親指をギュッと内側に曲げる癖がありました。身体を硬らせて、守っていたのでしょう。
(自分のことは自分でやらねば)
(弱音を吐いてはダメだ)
(他人に甘えてはダメだ)
一日中、ほとんど喋らなくなった。
感情が表に出なくなった。
(苦しいと思わなければ苦しくない)
(苦しんでいると思われてはいけない)
一通り話し尽くした…
そうだったんだね
もっと甘えたかったんだね
もっと寄り添って欲しかったんだね
どうせ誰も分かってくれないと思えて
自分の居場所が無いのが、寂しかったんだね
……。
昨年、生まれつき言葉を話せない我が子を亡くした。
今になって気がついた。
私は、あの子に自分を投影していた。
私が子供の頃にして欲しかったことを
甘えさせて欲しかったことを、注いでいた。
あの子を通して、自分自身を愛し直していた。
あの子を愛するのと、自分を愛するのと、2人分の愛情を注いでいた。それは、上の子達に向けるものより、より強かったと思う。
自分を愛し直す途中で
自分の分身がいなくなってしまった。
亡くなった時、こころが半分もぎ取られたと感じました。でも、本当はもっと深刻だった。
我が子を亡くすのと同時に、自分も亡くしていた。
あの子に注いだように、今弱っている人や、生まれつきハンディを負っている人へ寄り添いたいと思う気持ち。
周りから理解されず苦しんでいる人に、寄り添いたいと思う気持ち。
それは、自分に寄り添って欲しいという、こころの一番深いところに閉じ込めている、自分が欲していることだった。
人は皆、そこにいるだけで価値がある。
役に立たない人なんていない。
たとえ、学校に行けなくても、勉強ができなくても、足が遅くても、話せなくても、意思表示がうまくできなくても…。
ずっと、我が子に向けてきたと思っていた強い気持ち。
でも、その言葉は自分が一番欲しかったんだ。
お前も役に立っているよって。
(ボクはここにいる)
うん、やっと見つけたよ。
とりあえず、自分は亡くなっていなかった。
そうか、私の中で、あなたは私だった。
それに気がついた瞬間、私は私、あなたはあなたとなりました。やっと、離別感というものがわかってきた。
今は、それで良しとしようか。
今日の朝日は、一際眩しく感じました。
胸に手を当て、光の珠を取り出して掌に乗せました。
とっても温かく感じました。
それを、清らかで抜けるような青空に向かって
そっと解き放ちました。
ありがとう。
もう、自由になっても良いんだよ。
ちゃんとおぼえているからね、だいじょうぶ。