たとえ祈ることしかできなくても
午後の病院待合。
隣のプレイルームでは、作業療法だろうか? 先生と楽しく体を動かしているであろう、小さな子供さんの笑い声。
言語訓練室と表示されたプレートをぼんやり眺めながら、この風景を見て来たであろう、沢山の保護者とお子様の事を思う。
明日の幸せを願い、子供の成長を祈り、時には「今日で何日通っただろうか…?」と指折り数える。
それは、10年前の自分であり、今日またこの場にいる自分でもある。
発達障害に対して、言語訓練や作業療法で明日急に良くなるということはない。けれども、大切な存在のために何かをやっている。その実感が、日々の不安を和らげてくれる。
その時はただ疲れ、焦り、全てを放り出したくなったとしても、何かをやっているという事実は、自分で自分を励まし続けてくれる。
今、やれることがある。
やってあげられることがある。
実はとても幸せな事なのですね。
もし、身体が動かなくなり、祈ることしか出来なくなったとしたら、それはとても辛いでしょう。
祈るだけでは、気持ちがおさまらない。
そう、我が子のためであると思い込んでいても、本当は自分のためなのです。
あぁ、もっとしっかりと味わっておけばよかった…。
少なくとも、今はしっかりと味わっておこう。
この子との、貴重な時間を。
あの子への、祈りの時間を。