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相手の立場に立ってみる

以前、理解されること、について書きました。
理解されないということは、最も辛いことであると。

その相手が、パートナーであったり、会社の上司であったりして、距離感をコントロールできない場合、本当に辛いですね。

お前の言っていることは、まったく理解できない!
はいはい、おっしゃるとーり。やりゃあいいんでしょ?

例えば、ある業務を効率化のために止めるという指示に対して頑なに拒否する。この行き違い。

会社側は、コストを下げるために「ムダ」な業務を削除するという。でも、やっている方は「ムダ」とは思っていない。議論は平行線。そして納得感がないまま命令に従うしかなくなる。

この場合、お互いが見ている風景が異なっているから議論にならない。よく聞けば、人員不足で疲弊している現場を考えての提案なのかもしれない。また、業務そのものではなく、その業務を通じた教育効果を大事にしているための反論かもしれない。

会社は現場のことを、現場は会社のことを、自分の立場から精一杯考えた末のすれ違い…。

これは、パートナー同士でも起こりますよね。

生活費が苦しいからどうしよう?
二馬力で働こうか。

で、どういう働き方にする?

最小限でいいよ、俺もっと頑張るから!
せっかくなら、思いっきり働きたい!

俺も協力するよ、俺そういうの詳しいし、任せて!
自分の力でやってみたい!

え? 2人で協力して頑張ろうって言っているのに
それはありがたいけど…

じゃあ、お前だけで収入化できるのか?
…。

もはや、最初の目的はなんだったのか。

収入アップなのか、2人の一体感なのか、自分のやりがいなのか?

そして、この場合もお互いが自分の立場だけしか見えていない。結局、喧嘩になり抑え込まれた方はずっと忘れられなくなる。

あの時だって、私は我慢した!
あなたは私のことをわかってくれなかった!

お互い、真剣に相手のことを考えていたのに。


あなたのために、というサービス精神は大切で、満足度が高くなる。でも、これは与える方がやり方を決めるため、一定以上の満足を超える事ができない。

一方で、あなたの立場に立って、というホスピタリティ精神は感動が生まれます。相手がやり方を決める。感動には際限がない。どこまでも高められる。

この人の発言は、何に基づいたものなのか、何を背負っているのか、何を見ているのか、そもそもこちらを否定しているのか?

できうる限り、相手に寄り添ってみること。

勝ち負けに拘らない。
勝負している訳ではないのだから。

人生半ばまで来て、やっとこの入り口が見えてきた。

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