大衆演劇としての宝塚が腑に落ちた話。
いきなり変わるとか、何かを成し遂げるとか、大きなことは決して言えない。そんな人間じゃない。ただただ毎日をひっそりと地味にこつこつ暮らしているだけ。
その毎日を愛おしく思うことや、自分なりに丁寧に暮らしてみようとすること。放置している家の片付けや、汚れたままになっている部屋の掃除、それらを、えいやって片付ける気持ちに、
何故か宝塚を観た後はなるのですよね。
しょぼくれたダラけた心に芯が入るような。
自分の足でしっかりと、背筋を伸ばして生きたくなるような。
宝塚は大衆演劇であるべきだと。身近な存在であるべきだと創設者の小林一三さんは仰った。
私は一回の宝塚観劇で人生の大きな決断をしたりはしない。運命が変わるようなすごいターニングポイントにもきっとならない。
でも小さく、確かに行動が変わる。
掃除道具を買って来て、部屋の汚いところを磨く。食事をつくって丁寧に食べる。人に親切にする。感謝を伝える。
当たり前でささやか過ぎることだけれど、宝塚を観た後は確かに「より良く生きよう」って素直に思うから。
大衆演劇であることの意味は、自分の暮らしに当たり前に宝塚があること。
一生に一度の贅沢とか、非日常ではなくて、いつも心に宝塚があり、タカラジェンヌがいて、
苦手なことも嫌なことも取り組む気持ちが自然とわく。
タカラジェンヌの存在に励まされ、勇気づけられるから。観ているだけで嬉しいから。
自分もより良く生きようと思うから。
大きなことは出来なくてもささやかな暮らしの中で、日常を愛そうと思うから。
だから、宝塚は私の一部だと思ってる。
これからもずっと一緒だよ。