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猪とマグロ
最近、妹に『皮と肉と獣と山と』という本を借りて読み始めた。
まだ50ページくらいしか読んでいないけど、すごく感じたことがあるので、ことばにしようと思う。
この本は、あるカメラマンが猟師と一緒に猪の猟に初めて同行する場面からはじまる。
目の前で猪が罠にかかり、自分の身に降りかかっている危機の中で生きようともがいている姿を見て、「命」を感じているカメラマン。
猟師が猪の心臓に槍を刺して命絶えさせ、皮を剥いだり内臓を取り出したりしている。
生き物としての温かさやにおいを通して、直前まで「それ」が生きていたことを強く感じているカメラマン。
解体していく中で、普段目にしているような「肉」が出てきた。
その瞬間、そのカメラマンはその「命」を「食べ物」として認識している。
その本を読みながら、猟の情景が私の頭の中に浮かんできていた。
猪の動物としての温かさや、その命を絶やす瞬間の臨場感、「それ」を食べ物と認識するあっけなさ。
食卓で「それ」を捌いて料理するときや、実際に食べるときに、「命」を感じることも映像として入ってきた。
それと同時に、私は3ヶ月前にマグロを丸ごと1匹捌いたことを思い出した。
しかも、そのときに「命」を感じていなかったことも思い出した。
ただ「食べ物」としてのマグロを認識していた。
猪とマグロで何が私自身の中で違ったのか。
猪は人間みたいに温かい
マグロは冷たい
猪は(本を通して)命絶やす瞬間に立ち会っている
マグロは解凍されたものと最初に出会っている
「命」に優劣や違いはないと思いたいだけで
実は自分の中で個体ごとに「命」なのか「食べ物」なのかという認識があるのかもしれないと感じた瞬間だった。
全部読み終わった時には感じたことを、またnoteに書いてみよう。