続・『アルプスでこぼこ合唱団』
スイスで恐る恐る入団した日から、間もなく6年。その間の山あり谷あり、落ち込みあり、発見あり、感動ありの体験を綴った拙著『アルプスでこぼこ合唱団』の刊行からは一年ちょっと。
あの本では、指揮者ハンナがドイツの音大に職を得て合唱団を去ることになり、彼女との最後のコンサートを感動のうちに無事終えたところで話が終わっている。
そうして始まった二章目の只中に現在、身を置いているのだが、実は思いがけない展開により、でこぼこ合唱団の運命は予想外の方向へ、、、、。
急カーブが切られ、、、、
その話し合いが持たれたのが、先週の火曜日、年に一度の総会の席上だった。
団長さんからの年次総括やら会計報告など、通常通りに進んでいた総会が、「さて」という彼女の一言により急カーブを切った。
「ご存知の方もいらっしゃると思いますが、9月のコンサートを機に退団の意向を表明してらっしゃる方が5人。ただでさえ少人数編成ですが、これで男声はわずか2人になってしまいます」
5人もいるというのは初耳だったが、退団の意向のある人がいることは私も知っていた。そのうちの1人が、何度か私に耳打ちしていたからで、「で、君はどうする?」という打診も受けていた。決心のつかない私はその度に「うーん、まだわからない」とお茶を濁していた。
実際、ハンナの退団以来、合唱団の求心力や士気は確実に低下しており、昨年夏の「新人募集お試しリハーサル」で新たなメンバーが加わったにも関わらず、辞めていく人も続出。そのうちの2人(いずれも在団歴の短い男性)は「次期コンサート、このプログラムでは乗りたくない」と言って前回コンサートの後に消えてしまった。個人的事情ならともかく、コンサートのプログラムが嫌だから辞める、というのは私の5年余りの経験の中でも初めて。次回のプログラムについては事前にみんなの意向を聞く機会もあったのだから、え、今さら? という感は免れない。あるいはプログラムの件は表向きの理由で、本当の理由は他のところにあったのかもしれない。『アルプスでこぼこ合唱団』で一章を捧げたラトヴィア出身のヤーノス君も前回、一月のコンサートを最後に辞めてしまった。第二子ご誕生で夜、留守にするのが難しくなった、という理由だった。イクメン君の抜けたバスはやはりとても寂しい。
かくいう私も、正直なところ、もやもやした気持ちを抱き続けてきた。なんだかあまり楽しくないのである。もともと非社交的なスイス人の集まりだとはいえ、以前はもう少し、一体感とかチームスピリット、そして「でこぼこ合唱団」への愛着や誇らしさみたいなものもあった。そうしたものがここ一年半ですっかり壊れてしまった。その理由は主に二つ。そのうちの一つは泥沼過ぎて気が滅入るし、もう一つは個人の名誉に関わることなのでいずれもここでは触れない。
団長さんの言葉が続く。
「これまで予算の関係で不可能だった小さなオーケストラとの夢の共演、臨時収入があったおかげでもしかしたら実現できるかもしれないんです。それを我々のオフィシャルな有終の美にしてはどうか、と思いますが、そのために来年の一月まで退団を延長してもいいという方はいますか?」
誰一人、手をあげない。皆さん、退団の決意は固いようだ。
そこへ沈黙を破るようにして上がった別の声。
「僕からも一言」
指揮者のヨハネスさんだ。
「実は僕も、この9月のコンサート、あるいは長くて次の年明け1月のコンサートを機に、辞めさせてもらいたいのです」
えっ!?!?
運営委員の人たちにはその意向はすでに伝わっていたようだったが、一般団員、とりわけ、新しい団員さんたちには、これ、完全初耳だったようで、大きく見開かれたドングリまなこがあちこちで固まっている。
「かけもちで指揮している他の合唱団とか、自分の再勉強(Weiterbildung)など、時間のやりくりが大変になってきているので………」
前回、ハンナが辞めた時にはあれほど高まった惜しむ声が、だが今回は誰の口からも出てこない。つまりはそういうことなのだ。でこぼこ合唱団は、危機的状況にもかかわらずなんとかして救おう、なんとかして続けていこうとみんなが思う対象ではなくなってしまったということ。
最初で最後の発言
その後、数人から意見や感想の声が上がった。私も思い切って発言した。思えば年に一度の総会でちゃんと喋ったのはこれが初めて。隣の人に口を聞くだけでもドキドキだった6年前からの、これはやはりささやかな成長、スイス社会へのみじんこのような同化の印と言えるものではあったのだろう。
私自身も含め、発言者の中から、なんとか続けて行きましょう、そのためにこうしましょう、という意欲的、建設的な声が上がることはなかった。残念だけど、仕方ない。それが大方の意向だった。
それを受け、そう、我らでこぼこ合唱団、なんと9月のコンサートを最後に解散する運びとなってしまいました!
40年前に結成されて以来、いろいろな時間を潜り抜け、幾たびか襲ったであろうクライシスを都度乗り越えてきた合唱団、そうした濃厚な年月に支えられて盤石と思われていたものが、たった一年半であれよあれよと崩れ落ちていく。コロナや仲間の死をも一団となって乗り越えてきたのに、なんというあっけない終わりだろう。組織の誕生、成長、紆余曲折、そして崩壊。わずか6年在籍した私ですら、これはやはりショックな出来事。創設時よりメンバーだった団員(たぶん3人くらい)の思い、いくばくか。
毎週火曜日の夜、よほどのことがない限り休まずせっせと通った練習も9月以降にはもうない。スイス生活で初めて築いた地元とのご縁もこれで消失。勇気を振り絞った総会での初めての発言が、結局最後の発言となってしまったという皮肉。
お別れコンサート
小さな小さなアンサンブルですが、おそらく最後の舞台はこれまで以上に気合いが入ると思います。演目は『Misatango』。アルゼンチンの作曲家マルティン・パルメリによって1995年から96年にかけて作曲された『ブエノスアイレスのミサ』とも呼ばれる曲。古典的なラテン語のミサ曲で構成されていながらタンゴの響きとリズムが使われた作品ですが、今回は合唱、アコーディオン、コントラバスの編成で。よかったら聴きに来てくださいね。9月3日の5時から、チューリッヒ、フルンテルン教会にて。