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緩やかなグレーゾーンを直視する

「男なら行列作りますよぉ」

パリ行きのTGVが間もなく終着駅のガール・ドゥ・リヨンに着く。小型のスーツケースを転がして車両連結部にある出口の方へ向かうと、すでに先客が数人。私のスーツケースの二倍ほどはある大きな荷物を携行し、山から直行したのかな、と思わせるハイキング用の上着をお召しになった白髪のご婦人二人に、気の良さそうなおじさんが話しかけている。立っている位置から察するにどうやら三人とも二階席から降りて来た模様。
「ドイツ語圏スイスの方ですか?」
「いえいえ、オーストリアのチロル地方から来ました」
おじさんの質問に流暢なフランス語で答えるご婦人その一。
「ほー、チロルですか。チューリッヒからの電車だからスイスの方かと早合点しちゃって」
「チーリッヒで数泊しましたよ。で、これからパリでまたしばらく過ごすんですの」
と、二人目のご婦人が、やはり流暢なフランス語で。
「パリへはヴァカンスで?」
「そう、私はね。こっちの彼女はパリにアパートがあるので、そちらにお世話になるの」
最初のご婦人がそう言って、旅のお仲間の方に顎を傾げる。
その最初のご婦人は、肩にかけたショルダーバッグの中に小さなワンちゃんを連れている。あまりに大人しく、三人が犬の話を始めるまで私はその存在に気づかなかったほど。そしてもう一人のご婦人はチロルの山で骨折でもされたのか、右腕を包帯で巻いた上に三角巾でつっているさまが痛々しい。年の頃は揃って70代のどこかだろうか。外観は「おばあさん」だけれど、足腰も、認知も、まだしっかり。大荷物抱えた犬連れ二人旅もサクサク楽しくこなせているようで、十年前のまだ元気に自立していた頃の母のことを思い出して、少し切なくなる。

「ホームはこっち側かしら」
「どうかしらねえ」
ご婦人二人の会話はドイツ語なのに、ムッシュと話すときは揃って母語のようにフランス語を操る。二人はどんな人生を歩んできたのだろうか、と思わず妄想が膨らむ。

電車は定刻より遅れているようで、なかなか駅に着かない。高架の上を走っているらしい電車から見えるのは、線路脇に連なる建物の三階のあたりか。窓外の花がゼラニウムとわかり、カーテンの奥にある人の暮らしが垣間見えるほどに電車の速度は落ちてきている。その間、三人は他愛のないおしゃべりを続けている。

「それにしても、先程は本当に助かりましたよ。あなたがいなかったら私たち、どうやって階段を降りられたものやら、ねえ」
本当にその通り、と三角巾のマダムが深く相槌を打つ。そうか、二階から降りるときに、このムッシュはご婦人方の荷物をもってあげたんだな、と状況が見えてくる。
「いえいえ、どういたしまして。こんな美しい女の子たち(jollies filles)が立ち往生していたら、男なら行列作ってでも手伝いますよ」
「まあ! なんというジェントルマンでらっしゃるのかしら」
犬入りバッグを抱えたご婦人がそういってにっこりしたところでようやく電車はゆるりと終着駅に到着し、開いたのは果たしてムッシュが立っている側のドアだった。彼が、まずは腕の怪我マダムのスーツケースをひょいと持ち上げて、よいこらしょ、とホームに下ろす。と、すかさず、階段の一段めに立っていた別のムッシュが、「失礼(Permetez)」といってワンちゃん連れのマダムのスーツケースを持ち上げてホームへと下ろす。二人の男性に次いで、ご婦人方は転ばないようにゆっくりとホームに降りていく。
「ご親切ありがとうございました」
「とんでもない。喜んで。パリ滞在を楽しんでくださいね」
他人同士の二人の男性はご婦人たちに軽く手を振って、それぞれに改札の方へと向かう。スーツケースにはもちろん輪っかがついているので、そこからあとはお二人、自力でガラガラと引き始めた。

たったこれだけのことだったけれど、なんだかこういうの久しぶりだなあ、と感慨深かった。この間、私の口角はきっと上がりっぱなしだったと思う。


レディファーストと男女平等は矛盾対立するのだろうか


三十年以上前にパリに移住した当初、男の人が荷物を持ってくれるのは当然として、開けたドアを手で押さえて待ってくれる、エレベーターでもエスカレーターでも、地下鉄に乗車する際ですら、「どうぞお先に、マドモワゼル」と促される。そんなふうに促されたら、思わず姿勢も改まるし、あんまりだらしない背中で先を行くのは憚られるというものだ。

そんな暮らしの一コマにすっかり慣れた頃、久しぶりに降り立った東京では、鼻先でドアがバタンと閉まり、エレベーターでは自分より頭一つ小さなおじさんが、大威張りで女子供を押しのけて乗り込んで行くのだった。店では女性店員さんにぞんざいな口を聞く男性を多々、見かけたし、駅などで重い荷物を持ってくれる人などまずいない。

うわ、そうか、うん、そうだそうだ、そうだったよ、日本てところは……。

ごくたまに、どうぞお先に、とやる男性もいるにはいたが、そういう振る舞いは当時の日本では、やはり少々キザでカッコつけている印象が否めなかった。

時はたち、今やヨーロッパ(特に西ヨーロッパ)では、逆にかつての「レディファースト」はすっかり衰退してしまった。ベビーカーを押す人がトラムに乗り降りする時は、男女問わず、近くの人が必ずといっていいほど手を差し伸べるけれど、女性(の外観)だからといって、一律にafter youとはならないし、若い子たちはデートも割り勘。ガールフレンドの大荷物を彼氏が一手に引き受けるというようなこともあまりない。卑近な例でいうと、私が参加している地元の合唱団、普段の練習が引けた後、重たいテーブルやピアノを元の位置に戻すのは、なぜかもっぱら女性団員がやっている。ある晩、二人でテーブルを押しながら、「なんだろうね、我らが男性たち、どこ行っちゃったのかしら」と目配せするS女史に、「まあ、昨今は男女平等ってことだからね」と私が返し、二人で笑うようなこともあった。

パリ行き電車内で私が遭遇したシチュエーションとその後の会話も、たまたま中高年の世代同士だったから円滑に楽しげに遂行されたけれども、同じことを若い女性相手に口にしたら不愉快な思いにさせるかもしれないし、状況によってはセクハラと糾弾されることだってないとはいえない。昔からの習慣でつい手を貸しそうになり、けれど、ま、やめとこう、と出し掛けた手を引っ込める男性は決して少なくないと思う。

英語でheやsheで呼ばれたくない人のことをtheyで呼ぶ(他にもバリエーションはあり、大学入学時のガイダンスで配られた人を指す人称代名詞のリストには八個の代名詞(人称、とは限らない)が載っていた、ということを数年前、スタンフォード大に入学した友人のお嬢さんから聞いた)。ドイツ語だとそれはes(中性の代名詞)になることが多い。過日、引退を表明したスイス国民党(保守派、移民政策などでは極右的立場)の党首が、次期党首候補の人選について「どんな人でも、男性でも女性でももちろん大歓迎です、ただしesを除いては」と発言し、物議を醸したことは記憶に新しいが、ことほどさように、世の中、急速に変化し、そこについていけない(ついて行きたくない)人たちへの風当たりは強い。

男女平等とか、性的搾取に対して声を上げて行くことなどは、本当に必要だったことだ。
「今だったら、あれ、完璧アウトだったよね」
「毎朝、今日もあの痴漢乗ってくるかと思うと、それはもう憂鬱だった」
そう言える経験を、私くらいの世代の女性なら誰もがたくさんくぐり抜けてきたし、進学にも就職にもその後のキャリアアップにも目に見える、あるいは見えない分厚い壁が立ちはだかっていたのは間違いない。

そしてその先に、長い時間をかけて、女性指揮者が活躍し、性的虐待の被害者が少しずつ声を上げられる日が到来するとともに、性別のないトイレとか、荷物を持ってもらえず、飛行機の機内アナウンスからladies and gentlemenがカットされる日常もやってきた。女性だけでなく、属性によって差別を受けるすべての人にとってより生きやすい世の中作り、という意味で、これらはやはり歓迎すべきことだ。

そうなのだけれど、TGV内の一コマを微笑ましく、ちょっと懐かしいものとして肯定的に捉える自分もまたいるのである。

悶々とする自分を見つめ、世を眺める


前述のご婦人が
「まあ、なんというジェントルマンでいらっしゃる」
と口にした、その元のフランス語はcavalier、直訳的には馬に乗る人、つまり「騎士」。女性に貞操帯が課せられ、教育も受けられず、自由意志の結婚もあり得ず、魔女狩りなんかも横行していた時代に直結するこんなボキャブラリーも、現代の基準を原理主義的に当てはめればアウトなのかもしれない。だがまあそこはそのままでいい(本当は機内放送のladies and gentlemen問題についても、本質はそこなのだろうか、という疑問はある)、と私自身は感じてしまい、そういう感じ方そのものが、社会によって長年条件づけらてきたことの名残なんだろうか、などと、批判的に自問してみたりする。が、これだ、と思える答えはなかなか見つけられない。

そして思うのだ、ジェントルマンの到来をついに迎えることなく、me too時代に一足飛びにジャンプしてしまった(といっても、元オリンピック委員会会長のような人が山のようにメインストリームにはびこっている恐ろしい現実と同居するといういびつな形で)日本という国は、女性にとってつくづく気の毒なところだな、と。

輸入物コンセプトの多様性やらエンパワーメントやらを勇ましい謳い文句にする一方で、女性はおろか、ベビーカーにも妊婦にもお年寄りにもあまり優しくないのはやはりいただけない。考えてみればカヴァリエのレディファーストも元はといえば弱者へのいたわりに端を発していたのではなかったか(身体的な差異はいいとして、教育も受けさせないでおいて女性を知的、情操的弱者と決めつけていた、その点は実にけしからんことだと思うが)。なんらかの属性や社会的、地理的、歴史的状況によって不利な立場、弱い立場にある人に貸せる手を貸す。やはり私自身はその軸でぶれずに行こうと思うのだ。

毎年話題になる男女平等指数、さて、来年はどのあたりにつけることになるのやら。(2022年度版では156カ国中、116位。)

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