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快楽

生物界における個体とは、生物の本体である遺伝子の乗り物であるという考えがある。
そして遺伝子の生存戦略として、生物はその種族の中で、多様化し環境の変化に対応しうるよう進化してきた。それぞれが生き残る術を探して闘い続ける。多様な生き方が生まれるほど、遺伝子は生存の可能性を高めてゆく。
だが個体が単なる乗り物であるなら、その乗り物の存在意義は?遺伝子を繋ぐこと?遺伝子を次世代に繋いだらそれで終わりなのか。
結局のところ個体が生きることそれ自体に意味などない。誰でも自分という個体が生まれた意味を探す。しかし、そもそも無いものを探しても見つかりはしない。見つからないものを探して行くうちに、生きることに虚無感を感じるようになる。ではその虚しさは生きる限り振り払うことはできないのか?生きることの虚しさから解き放たれる唯一の手段は快楽である。快楽を得ることで初めて個体は単なる乗り物という呪縛から解脱する。
快楽とは人生の悪のように言われることが多いが、それは個体が遺伝子の生き残る手段を探すことを怠っていくことに繋がるからではないか。きっと遺伝子が本能にそう囁くのだろう。"生き残る術を探せ。遺伝子をより長く遺せる仕組みを考え構築せよ。"
だが、その囁きに従うばかりでは、個体としての生は解脱することはできず苦しみの中を歩いていくしかない。
もちろん個それぞれの快楽を求めるならば、それぞれが他者の快楽にも配慮しなければならない。また次世代の快楽にも配慮しなければならない。
ただ、遺伝子をより良く遺していくだけに囚われては、個体は破滅の道を歩むことになる。個体が生きていくためには、快楽が絶対に必要で、そのことを忘れてはいけない。

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