初めての感情

それはあまりにも突然で、心のどこかでは
「いつかは…」なんて思ってた。

でもいざその時が来たら、今まで経験した事のない
初めての感情になった。

寂しさ、怒り、絶望感、とまどい、
応援したい気持ち、親心のようなもの

例えるならこんな感じだけど、これらを足しても
この感情と=かと言われると…うーん。

あえて名前を出すと
これは乃木坂46の生田絵梨花ちゃんの
卒業発表を受けての想いである。

彼女との出会いは10年前。
とあるバラエティ番組でのこと。
メンバー数名と出演していた。

デビュー間もない中学生のアイドルが
バラエティで激辛料理を食べる対決で
泣きながら「負けたくない」と言いながら
周りに止められても食べていた。

当時の僕は世間の流れに乗って
話に合わせる為にAKB48の曲を聴いたり
「俺は~推し」なんて会話をしていた。

ただその日以降の僕は
少なくともそれまでの女性アイドルの誰よりも
「いくちゃん」が好きになった。

初めてにして唯一の握手会はもちろん
ライブの為に初めて遠征をしたのも乃木坂46であり
生田絵梨花が初めて。特別な存在だった。

あまり周りと乃木坂はおろか
アイドルについて話す機会がなかったが
歌番組やバラエティに出演する彼女を見ると
自然と高揚感を覚えたり
ストレスが軽減されたりしたものだ。

ここで少し話は変わるが
秋元康は天才だと思う。
先に言っておくが、「誰が言ってんだ」とか
「今更かよ」というのは受け付けない。

初めてその感覚になったのは
いくちゃんが初めてセンターを務めた
「何度目の青空か?」の詩を読んだ時だ。

心のどこかでは「いくちゃんのセンター曲」
というフィルターがかかってるかも知れないが
それを差し引いても、やはり天才なのだ。

「何度目の青空か? 数えてはいないだろう」

これはサビの頭の一文なのだが
凡人の僕には、晴れて青空が広がった回数を
数えようという概念がなかった。

他の曲でも、この信号はいつまで青なんだとか
この階段が何段か覚えてないだろ?とか
(階段の歌詞は別のグループの曲です)
わざわざ数えなかったり覚えてないことを
改めて問い、その世界観に引き込んでくる。

そしてつい最近発表になった
乃木坂46としてのいくちゃん最後の曲
「最後のTight Hug」の歌詞も凄かった。

個人的な状況として、10年間の中で
乃木坂46全体への興味が薄れていた時期があった。

そういう状況にもピッタリだし
生田絵梨花の卒業を様々な感情で想う人にとって
涙無しでは聴けないような曲になっている。

「乃木坂らしい曲」というのが確かにあると思う。
君の名は希望、きっかけ、ありがちな恋愛
他人のそら似、羽根の記憶…など
挙げればキリがないけど、この曲もそうだった。

ライブでのピアノ伴奏の担当だったいくちゃん。
ツアーの中でも重要な曲を、いくちゃんのピアノで
終盤に披露する…というのもあった。

もっと言うと、グループの外での活動でも
大物アーティスト達の歌をピアノで伴奏していた。

そういう存在も含めて、多くの場面で
「乃木坂らしさ」を体現した人だったと思う。

たしかに、卒業シングルのセンターではない。
ファンとしては、せめて、華々しく
最後に最大限に輝いて去って欲しい。
それが叶わない事が、冒頭の「怒り」に繋がった。

ただ、しかし、だ。
10周年の節目に出すベストアルバムのリード曲。
「乃木坂らしさ」のある楽曲のセンター。
2日間の卒業ライブや、記念本の発売。
今のコロナ禍や、外仕事の多さ。
発表から約2ヶ月という期間の短さ。

とまぁ…これらの状況を考えれば
充分に華々しいではないか。

「俺の推しは最強だった」と胸を張れる。
卒業後だって芸能界に残ってくれる。
これからも応援が出来る。
これ以上、何を望むのか。
(欲を言えばまだまだ希望はある。)

……とんでもなく長くなったし、まとまってないし
「最後のTight Hug」の歌詞について触れてない。
でもこれ以上は、終われなくなってしまいそう。
この長い長い文を読んで気になった方は
ぜひ歌詞や曲調に注目して聴いてみて頂きたい。

2021年12月31日。
乃木坂46、生田絵梨花 最後の日。
今年ほど紅白を「見たい」と思う事はない。
TVの前で「ありがとう」を伝えたい。

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