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時計の読めないこども

忘れられない記憶というのは、日常に潜んでいた。そのひとつを思い出して、書きたくなったので書こうと思う。名付けて「0.5分問題」だ。


0.5分問題

0.5分は紅茶の抽出時間だ。
ちょうどおやつ時、母は紅茶を飲もうとしていて、それを自分はつくりたかったんだと思う。袋にはやり方が書いてあって、「お湯を入れて0.5分」とあった。0.5分は秒にすれば30秒だ。

しかし小学2年生の頭には、それが全く理解できなかった。小数の書き方は知っていたが、それがどのくらいの長さか想像がつかなかったのだ。

時計で示しながらどこらへんかというのを教えてもらったが、結局解らずに終わった。
わからないが過ぎて親をピリピリさせてしまったというのが、0.5分問題だ。


振り返って、あのとき何を混乱したのかと考えてみると、2つのことが原因だと思う。
まず小数が分数(割合)であることがわからなかったこと、それにより「0.5」という10進数の表記と「分」という60進数の表記がごちゃごちゃになったこと。

0.5は10分の5で、2分の1。そして1の大きさは好きに決められる。
今、1分を1とすれば、1分は60秒で、0.5分は30秒だ。

ここまで理解したのは、3年生の分数で小数も分数も割合であると知ってからだ。


そしてアナログ時計問題

この0.5分問題の時は、同時にアナログ時計が全く読めなかった。

アナログ時計の読み方は1年生で習ったらしいが、(さっき調べたら未就学児向けの記事もあっておののいた。)あの時は、時計はすべてデジタルになればいいのにと思っていた。
家にはデジタル時計がビデオデッキにしかなく、集団登校の集合時間は、長い針が真下に来た時と覚えていた。

しかしこれも、分数を習って表しているものが想像できるようになると読めるようになった。短針、長針、秒針が、円グラフの目盛りを刻んでいることがようやくわかったからだ。


つまりは暗記しなよ問題

さて、これだけ遠回りせずとも、読むだけなら法則を覚えれば読めるから簡単だろう、というのが一般的なのだろうか。たしかに集団生活をする上で、時間を把握できないことはなかなかに不便なのだろう。

しかし、覚えればのことを覚えられなければ、いつまでも読めないままだ。覚えれば、ということについては漢字、歴史、英単語とずっと続いた。

特に受験前の英単語では毎朝小テストを落とし、なぜ覚えないのかと説教をくらった。
(これは、単語帳か文法問題集から12問ほど出る小テストで、範囲は日替わり、ボーダーは8割という、僕にとっては本当にあきらめるレベルの無理ゲーだった。)

暗記はすごく力になるが、努力で誰にでもできることだろうか。
少なくとも、同じ量を暗記するのに必要な努力は同じではないだろう。



そう、暗記は力になる。覚えなければ始まらないことは多い。
例えば何かの成分を同定するには、可能性のあるものを知らないとできない。知識がすぐに引き出せなければ、考えられるものも考えられないからだ。

だから暗記ができるというのは、急速に学んでいけるすごい技術だ。
どなたか、ご自身の0.5でも良いから授けてくれないだろうか。