部活動改革を考える

日本中学校体育連盟(中体連)は2023年度から全国中学体育大会(全中)について,学校単位だけでなく,民間のクラブや団体としても出場できるよう,参加要件を緩和する方針を決めた。
 
学校の働き方改革を踏まえた部活動改革は,活動時間の適正化や教員が専門指導できない部への指導員の配置など,現場でも令和2年度より具体的な動きが始まっている。そんな中,発表された大会参加要件の緩和。記事には,「実際にどれほどのクラブが出場を希望するかふたをあけてみないと分からない」と書かれていたが,すでに学校単位での活動以上の“盛り上がり”を見せる競技では,多くのクラブが参加を希望するのではないだろうか。
そこで心配されるのは,競争のさらなる激化だ。確かにスポーツ活動が教員の手から離れることによって,教員の働き方改革は一気に進むだろう。一方で,クラブの中学生争奪戦は激しさを増す。その争奪戦を制するために手っ取り早い方法は,即時競技力向上を果たせるクラブにすることだ。要は,強いクラブにすることだ。
中学生段階の競技力向上は,やったらやった分だけ成果が上がる。オリンピック,日本選手権レベルとなると,トレーニング量と競技力は必ずしも比例関係にはあらず,様々な要因が複雑に絡み合って,勝敗が分かれることとなる。しかし,中学生のレベルは,その繊細なレベルでの争いではない。発達段階を無視しても,ただただトレーニング量を増やすだけで,都道府県・地域レベルであれば,上位になることは難しいことではない。そこに指導者の“厳しい目(手)”が入れば,その効果は倍増だ。そもそも世代別であることから,分母が少ない競争率の低い争いであり,言い換えれば,誰もが頑張ればトップを目指せるということになる。となると,争奪戦を制するために,学校との両立や遊びの時間,子供たちの人権を無視して,毎日のように数時間の厳しい練習を課すようなクラブが出てくることは容易に想像がつく。
そんなスポーツ活動は,中学生に何をもたらすのか?過度な練習によりケガや体調不良に苦しむ。厳しい指導により好きで始めたスポーツが嫌いになる。勉強する時間を作れずに学習に遅れが出る。学校の仲間との遊ぶ時間を作れずに,楽しい学校生活を知らないなど,中学生にとって不健全な状況しか想像できない。このような想像をしてしまうのは,部活動中心の今現在の中学生スポーツでも,そういった現状が少なからずあるからだ。そして,この現状に拍車をかけるのが今の部活動改革だと考える。
 
その根本的な解決には,中学生段階での全国レベルのチャンピオンシップを廃止する他ないのではないかと思ってしまう。部活動やクラブが勝利至上主義になるのは,その指導者や経営者のせいだけではない。そこにいる選手(生徒)やその保護者も勝利を求めている。需要があるから,そういった指導者やチームは廃れないのだ。その需要はどうして生まれるのか?そこに出て,勝って未来が拓ける大会があるから。憧れ,目標の対象となる大会があるから。健全な活動の先にそこがあるのであれば,そこを目指す過程は,その子の人生の糧となるだろう。共に苦しんだではなく,共に頑張った仲間と確かな絆を育むことができるだろう。しかし,私が想像する中学生スポーツの未来にその光景を望むことはできない。
単に教員の負担を減らし,大会に出場することができる環境を作ることが,部活動改革ではない。一番は長年の積み重ねによって作られたこの懸念,いや現実を解消することこそが,部活動改革でなければならない。全国大会をなくすことは現実的な話ではない。だとすれば,指導者が,保護者が,健全なスポーツ活動を正しく学び,子供たちが好きで始めたスポーツをいつまで楽しく継続できるようにという視点で関わることが大切なのではないだろうか。
 
「好きこそ物の上手なれ」。好きが継続すれば,競技力も自然と向上していく。

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