パワハラ指導を考える
「ゴミはゴミ箱にいなさい!」“鉄の女”トゥトベリーゼの元教え子が壮絶体験を告白!「誰も彼女に逆らえない」
女子フィギアスケートのワリエワ選手のドーピング問題。真相は不明で,安易なことは言えないが,この一件で注目されたのは,ワリエワ選手よりもコーチであるトゥトベリーゼ氏だ。多くのメダリストを輩出するパワハラ指導は,日本のスポーツ指導現場と無関係ではない。
近年,日本でもスポーツ現場でのパワハラ指導は,スポーツ界全体の課題として取り上げられることが多くなり,体罰や暴言について注意喚起される場面が増えてきた。それに伴い選手や選手関係者の認識も変わってきており,「パワハラ指導は当たり前」と捉える人の数は以前と比べれば明らかに減っているように感じる。とはいえ,これは大枠の話であって,実際は根深い問題として未だにパワハラ指導が黙認されている場所もある。なぜか?
その答えは明快。パワハラ指導は短期間でパフォーマンスを向上させるという点では,有効な手段であり,指導を受ける側にも「強くなれるのであれば,これくらい我慢しなければ」という考え方がある。その指導で良い成績を残せた選手からすれば,「その指導のおかげ」となり,パワハラは肯定される。そうなれば,指導者の評判は「パワハラ指導者」ではなく,「優れた指導者」となり,「優れた指導者」の周りに有能な人材が集まる。有能な人材は,間違った指導をされていてもそれなりの成績を残していくので,「優れた指導者」はやがて「名将」となる。「名将」は例外としてパワハラが黙認されるというのが答えだ。
「楽しいスポーツをもっと上手にできるようになりたい。」とか,「○○さんとスポーツを楽しみたい」とか,スポーツクラブに,運動部活動に入ろうとする人の大半は,そんなシンプルな欲求がきっかけではないだろうか。全国大会で優勝したいとか,オリンピックで金メダルを取りたいだとか考えて始める人は多くはないだろう。ところが,ただ純粋に楽しみたいと思っていただけの子供たちが,“何かの策略”により勝ちにこだわるようになる。そして,指導者は「勝ちを求めるのは選手自身。だから自分は,“勝たせてあげる”ために必要な“愛の鞭”を打っているだけ」と言う。
指導者としての一番の喜びは,指導した選手が,そのスポーツをしていた時間を人生のポジティブな1ページにできることにあると私は思っている。そのためにパワハラ指導はいらない。パワハラ指導はその時間をネガティブにしかできない。
ワリエワ選手のドーピング問題はなぜ起こったのか?今後のスポーツ界のためにその全てが明らかになってほしい。いかなる経緯であっても,15歳の選手がドーピング疑惑対象者になった事実と,その渦中に試合に出場したこと,そして,その試合内容を指導者が責めたことは,とても肯定できるものではない。スポーツに関わる全ての人々がこの一連の騒動を否定的に捉えるスポーツ界であってほしいと思う。