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Forward-thinking(前向きな思考)

#大切にしている教え

 行動するに当たって世の中の人々は、何らかの自らの基準に基づいているはずである。
 その基準は、誰かからの「教え」であったり、長い間、自分が生活していく中で得た「経験則」だったりするだろう。

 「教え」の場合は、身近な人から、読書から、有名人の発した言葉からなど様々なケースがありうる。一方、「経験則」の場合は、個人が子供から大人に成長し、その間、家庭や学校や職場などで接した人々との関係の中で身につけたものである。当然、個人にとって良い関係、悪い関係があるが、二つの関係は糾いながらも、これらの関係の中でも失敗がある方が「経験則」は身につく場合が多い。つまり、自分がこういう風に行動・発言すれば、相手はこういう具合に反応・反発するのかが分かってくる。
 いわゆるこのような軋轢は当然避けていく方が、相手との関係も良好に保て、自分の行動も容易になり、自分の目指すところに到達し易くなる。

 しかし、この「教え」と「経験則」の関係はそれぞれが独立している訳ではない。恐らく人は色々の「教え」を通して自らの行動規範を確立して、その行動規範に従って行動し他人との関係性を「経験則」として保ちながら生活しているのだと思う。従って、両者は響き合いながら我々の行動を律しているものと考えられる。

 最近、幸福に関する読み物や人の話を聞くことが多い。自分が今不幸で、現状を幸福に変えたいという思いが特に強いわけではない。
 仕事も定年を迎えて、これから残りの人生をどうやって生きていけば良いのかを考える。再度、自分を見つめ直したり、年齢に関係なく思考や行動の幅を広げていこうと考えた時に幸福論に行き当たった。

 そのポイントは、人としての生き方として何事もプラス思考であることが必要らしい。では、プラス思考であるためにはどうするか。そのためにはマイナスをイメージする言葉自体も使ってはいけない。生来的に人の気分はマイナスをイメージするらしいので、マイナスの言葉はより一層人をマイナスの方向へと向けていくのである。
 従って、マイナスをイメージする言葉を使わず、プラスをイメージする言葉を使うことが大切になる訳である。

 あるとき、私が北海道旅行の計画しており旅行中の天気予報があまり良くないようだと、友人に話したところ、彼は、「学生時代、ユースホステルマニアで泊まり歩きをした。雨の中、カッパでずぶ濡れがよくあったが、旅行中は何故か雨が快感だった。旅は日常とは全て違う。旅は天候など気にしないで楽しんでこいよ。」と明るく声を掛けてくれた。
 多くの人が旅行中の雨は嫌だと思うだろうが、非日常の旅の中でそれも又良し、と思える気持ちが人を前に向かせるということだろう。これぞプラスをイメージする言葉だと思った。

 そして、次に必要なのは「春よこい」のように「幸よこい」と意志を持ち、幸福を呼び込むのだ。そのためには心の平安を保たないといけない。心が不安になると不平や不満が心に満ちてくる。そうすると心が穏やかではなくなる。そのような心の状態の時は発する言葉も必然的にマイナスをイメージする言葉になってしまう。
 このような事態を避けて心の平安を保つためには、ある程度自分で心をコントロール出来なければいけない。心の中心に芯となる思考を持ち、そこから外れそうになったら心の置き所を修正するなりの自らの努力も必要となってくる。

 さらに、人は行動する前にあれこれと悩むことが多い。例えば、セールで滅多に出品されない商品が出品されることになったが、会場が街中で駐車場もなく商品は欲しいが「電車やバスを乗り継いで行くのは面倒だな。どうしよう。」と考える場合がある。そのような際も先ずは行動することが大切であるらしい。「面倒だ」に目を向けるのではなく「商品が欲しい」に目を向けると行動に移れる。行動することによって商品を得ることができ、その効用は面倒さを上回って心も落ち着くというものだ。

 残りの人生がどれくらいあるか分からないが、健康に起因する困難や運命に起因する困難がまだまだ生じることだろう。そのような困難の中にある時にも思考が後退せず、少しでも苦しみを和らげ生きていけるような人生に対する前向きな態度とは何かを引き続き模索したいものである。
 
 幸せの形は人それぞれに異なるが、その模索の先に心から感じられる幸せがあり、もっと先に自分なりの納得した人生があり、最期に穏やかになれるような答を見つけることが出来るであろう。

  

 

 

 
 

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