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宗教観 lerigioso

Note 134日目。今日も病棟でフルで働いてきました。病棟でリハビリしてると日本で働いてたころを思い出します。患者さんもおじいちゃんおばあちゃん多いし、膝や股関節の手術後だしでだいぶ状況がリンクしててなんとなくノスタルジック。

なんかもやもやする日が続いてたけど、たった二日しかリハビリしてないおばあちゃんに「Me gusta su trabajo. Gracias. (あなたの仕事の仕方が大好きよ)」と言われた時はちょっと泣きそうになりました。ちょっと元気もらえました。

そんな今日のテーマは夕食時のDaniとの会話。

エクアドルでは定期的?にディベートのようなものが開かれているらしく、今日の議題は「堕胎」について。ちょっとデリケートな話題ですが。今回は「堕胎」の是非についてディベートを行ったようです。

現在エクアドルでは「堕胎」が法律上で禁じられています。宗教的な理由で。個人的には(というか最近話をするエクアドル人も)政治と教育、宗教は切り離したほうがいいと思っているのですが簡単にはいかないようですね。

なので、この国で「堕胎」を選択すると、実刑が科されます。

ここで問題になってくるのが、Violencia(暴行)によって生じる妊娠について。

エクアドルについてこんなデータがあるようです。

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・7人/日の割合で14歳以下の女児が暴行にあっている。
・7人/日の割合で14歳以下の女児が(非公式に)堕胎をしている。
・11人/日の女性が性的暴行を告発してる。

そして、これまで284件の裁判が行われ(性的暴行後の堕胎について)女性が正当化されたのが134例。つまり堕胎を行った半数以上は女性も罪に問われています。

このような状況下で「堕胎」を有罪とするのはおかしいのではないかということが発端となって行われた会議のようですが、結果はやはり「NO」。参加者の大多数が「NO」を突き付けたそうです。根強く残る宗教観。

「堕胎」の良し悪しを簡単に判断できはしないけれど、傷ついた女性にさらに鞭を打つようなこのシステムについてはDaniも賛成してはいないようだし、僕個人的にもどうかと思います。そんな環境で生まれてきた子供も、そしてお母さんになる立場の女性も、その周りの人々も、幸せかどうかなんて想像に容易い。

たぶんいつかのNote記事でも書いたと思いますが、エクアドルでは高校性くらいまでの年齢の子に対しての「性教育」も必要最低限、「解剖学」的なところまでしか実施されてないようです。メディアの発達も相まって、偏った、誤った知識が容易に入ってくる今の時代に正しい知識を身に着けないまま大人になった結果、さらに社会的なシステムによっても救われない悪循環。

マナビに居た時に一緒に住んでいた「臨床心理士」兼「性科学者」のIvonneも言ってました。

「人々を幸せにするための宗教が人々を不幸にしている」

エクアドルの18歳以下の若者の50%がもはや無神論者(Ateo)であるというデータもあるようです。

まだまだ僕も勉強不足ですが、そろそろ宗教も在り方を変えないといけないのではないかとひっそり思っています。


それではChaito‼


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