歌詞勉強 ゆめうつつ 米津玄師


今回は聞かない日がないほど有名なアーティスト、米津玄師の楽曲。ニュース番組のテーマソングとして使われています。

とあるインタビューで
「見渡してみると、現実のむなしい出来事や怒りを感じることがいくらでもころがっている。そしてその対極であるやすらかな夢の間を反復しながら生きていくのが大事なことだと思う。
子供のころ、空想(夢)にものすごく助けられた。生きていてどうも噛み合わないなと思うことが多かった。夜寝ることが、今安らかな時間で、生きていくうえで必要不可欠な空間だと思っている。それを少しでも共感してくれるといい」(原文から少し変えています)
と語っています。
また、対極だけでは物事は図り切れない。段階があり、それを言葉や音楽に還元したかった。とも語っています。

行き来するということは点と点の間の線を感じることが大事なのだと感じます。


さて米津さんといえば、歌詞も印象的です。
これは最近のYOASOBIやずっと真夜中でいいのに などもそうなのですが、ニコニコでボカロを見てきた、やってきた世代のクリエイターはテーマや言葉回しなどが普通のJpopとはちょっと違うところが特徴になります。
文字数が多く、遊ぶような歌詞、特異なフレーズ。多く見られる特徴です。


これが正しいかはわかりませんが、さっそく勉強していきます。


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「夢の続きを いつまでも探してた
あまねく町の側で 揺蕩う路地裏
広告を携えて 飛び立つ紙飛行機
何処まで飛んで行くんだろう
虚しさばっかり 見つめ続けるのは
誰かの痛みに気づきたかった ひたすら
何かを得れば何かが 目の前を通り過ぎる
さよならまた会えるかな」


最初はAメロからはじまります。夢には2つの意味。夜寝ているときに見る夢、思い描いている目標や願いとしての夢があります。この曲では2つの意味が行ったり来たりするように使われています。
幼いころに描いていた夢を、ずっと探していた。誰もが経験したことだと思います。夢を見つける、夢を追いかける、夢を見失う、別の夢を見つける、追いかける。この繰り返しの中を生きています。
また、昼は動き夜は眠る。寝ているときに見ていたやすらかな夢の続きを見るために日々を生きている。という意味にも取れます。

あまねくは広く、すべてに渡って という意味を持つ言葉です。ここでの意味だとあらゆるという意味でしょう。
どんな場所にも裏と表がある。インタビューでも語られている"対極"がここでも書かれています。

「虚しさばっかり 見つめ続けるのは」の部分は報道番組のことですね。ニュースはここ最近マイナスなことばかり流されているように思います。マイナスな方が目や記憶に留まりやすいというのもあるかもしれません。情報だけではないのですが、人はあらゆるものがあるなかで取捨選択しながら生きています。すべてを得ることは誰もできないのではないでしょうか。

さよならまた会えるかなという擬人法を使うことで、文章がすこし軽くなり、楽曲と同じ浮遊感の漂うイメージになっていると思います。

「探してた」、「路地裏」、「見つめ続けるのは」、「ひたすら」と母音を同じにすることでつらつらとしたメロのなかにもリズムがでてきます。やってみようと思った方は倒置法などで言葉の順番を入れ替えたりして、意味が通りつつリズムよくなるようにしましょう。


「背中合わせの旅は まだ続いてく
誰も知り得ない傷が 癒えずに増える
どうせいつかは 風に溶け消える
ならば今夜くらいは」


Bメロです。楽曲的に一度、シリアスになり徐々に明るくなっていくというような展開になります。
Aメロでは世界のことを客観的に眺めていたのが、ここでは自分の主観としてのできごとが書かれています。
誰かと背中合わせで進んでゆく旅ではお互いが逆を向いているので、傷ついたとしても誰にも知られることはありません。

「今夜くらいは」は後ろのサビに繋がる言葉になるとともに、「くらいは…」と省略法を使うことで、余韻が残ります。
そしてここでも「旅は」、「傷が」、「いつかは」と「続いてく」、「増える」、「溶け消える」と母音が同じになるように書かれています。


「羽が生えるような身軽さが 君に宿り続けますように
むくれ顔の蛇も気づきはしない 日々の隙間でおやすみ
君が安らかな夢の中 眠り続けられますように
あんな姿じゃいられない
子供みたいなまま遊び疲れてそれじゃ また明日」


サビになります。この部分のテーマは"願い"でしょうか。君に対する思い、そうあってくれという願いが書かれています。
夜、活動していない寝ている時間のことを、「日々の隙間」という言葉で表しています。
むくれ顔の蛇については、敵対的ななにかを比喩した表現だと思います。忍び寄る影と同じ意味を持つのかな?と解釈しました。
最後の一文には米津さんらしさがでている歌詞だと思います。それに希望が湧いてくるような歌詞です。
この曲はニュース番組のエンディング、一日の出来事の映像とともに流れる曲です。ニュースとしての固さ、マイナスで終わるのではなく、希望が見える終わりにすることで、安らかな時間(夢)に少し明るい気持ちで向かうことができます。
共感してほしいという思いがここででているのだと思います。

「宿り続けますように」 などほかの部分と違い丁寧な口調を使うことで、切実さが表現できます。


ここでも全体的に母音が同じになるように書かれています。
しかも「羽が」「ような」「身軽さが」、「君が」「安らかな」「の中」、「みたいなまま」、「それじゃ」と母音が"あ"でおわりますので、歌いやすくなっています。


「間抜けな惑星に 住み着いた羊の群れ
風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船
何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン
わたしは何処にいるんだろう」


2回し目のAメロです。
「間抜けな惑星」は恐らく地球のこと、「住み着いた羊の群れ」は私たち人間のことだと解釈します。
羊はキリスト教などで、羊飼い(神や救世主)に導かれる存在(信徒)として描かれています。それが転じて、歌詞などでは単純に人、人々としての意味で使われたりしています。
瀟洒とはさわやかなさま、さっぱりとしたさま、俗っぽくなくしゃれているさまという意味を持つそうです。
私は自然的、ナチュラルな地球のことを表しているのかと思いました。人が生きる間抜けな星、自然が生きる瀟洒な星。
地球がどうあるべきか、どう接するべきかを考えさせるような歌詞だと思います。

「何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン」これはアドバルーンを視点のまんなかに据えて客観的な視点で書かれています。
1回し目では人が取捨選択し生きていると書きましたが、アドバルーンも同じ。広告を見た人がどうかを取捨選択しています。
ニュース、いわゆる情報も同じです。知るか知らないか、見た人にしかその情報はいきません。

「住み着いた」と「瀟洒な」が、「群れ」と「宇宙船」が最後の母音が同じになっています。
宇宙船は"せん"で終わりますが、音として前に出るのが"せ"ですので、母音を統一しているという考えです。


「眩い光に絶えず 誘われている
零れ落ちた羊は まだ夢をみる
どうせわたしも 風になり消える
ならば今夜くらいは」


2回し目のBメロです。
「眩しい光」は希望、明るい場所、夢という意味を含んでいるのだと思います。羊は上で書いたのと同じですね。零れ落ちても、どこにいても夢をみることは変わりません。
「どうせわたしも 風になり消える」 1回し目のBでは"溶け"と書かれていました。2つは同じような表現ですが、イメージが少し変わるように思います。

1回し目と同じ「絶えず」「誘われている」「夢を見る」「消える」と母音が統一されています。しかも1回し目と同じ"う"での統一。言葉を大事にしつつ、でも怖がらない。こういうところがうまいのがクリエイターとしての米津玄師なのだと思います。


「声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように
革命家の野次も届きはしない 夜の淵で踊りましょう
君が望むならその歌は 誰かの夢に繋がるだろう
あんな人には解らない
物語の裏 隠れたままそれじゃ また明日」


2回し目のサビです。
「声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように」自分としてはここのフレーズがこの曲の中で一番のポイントだと思います。 コロナの中で作られたこの曲であり、声を出すことがしにくくなった中での思いが込められているとともに、弱い人、虐げられている人、言いたいことを言えない人々への願いが込められていると思います。

「革命家の野次」 なかなか聞かない歌詞です。このフレーズには声が出せる人としての意味と、日常を壊そうとする存在という意味を持つのだと解釈しました。
「物語の裏 隠れたまま」ここの部分は、表に出ている物語だけじゃなく、それ以外のところでは日常が続いているというのを表しているのだと思います。見えない隠された部分のことを"物語の裏"と表現するのは、米津さんのセンスですね。
「あんな」という指示語が何に対してなのかは推測ですが、1回し目は「むくれ顔の蛇」、2回し目「革命家」に対して。
つまり、世の中にはびこっている悪意など全般を指しての指示語だと思われます。


そして1回し目のサビ同様、「声が」「出せるような」「喜びが」、「君が」「望むなら」「その歌は」、「物語の裏」「隠れたまま」「それじゃ」と母音が"あ"になっています。
いくつもある言葉選びの中でどれがすっきりはまるか、自分の思いが込められるかが考えられています。


「ゆめうつつで生きていく 一つずつ愛し合う
躊躇わず渡っていく 君の元へ
やるせなくて嫌んなる 面影は遠くなる
疲れたら言ってよ 話をしよう」


エンディングです。
タイトル回収ですね。勿論ここでも母音が同じになるようになっています。
ゆめうつつは漢字で書くと夢現。夢と現実、もしくはその間のはっきりとしない状態のことです。
ゆめうつつの中、一つずつ着実に日常を生きる。やるせない思いを抱く中、昔の記憶は遠くなっていく。
それで疲れたのなら、おしゃべりをして共有しよう。共感しよう。そういう歌詞なのだと思います。



いかがだったでしょうか。

インタビューで語っていた通り、ニュース番組は明確なストーリーがなく、常に違うことを放送しています。
エンディング曲として、どの日に聞いても、誰が聞いても同じように思えるのはニュース番組のテーマ曲として重要だと感じます。テーマソングの重要視される箇所の一つですね。勿論、ニュース番組のテーマ曲だけに留まらない米津さんの思いが込められています。


この曲は個性と共感性の両方を重要視して作られた楽曲なのだと思います。


それから、itunesの評価で、終わりがブチってなってるのは不具合なのか? 雑音が入っているのか?
と書かれている方がいましたが、そんなことありません。普通こんな終わり方をするものは意図的でなければ、即刻
修正されますし、それ以前に販売側が気づきます。というわけでこれは"意図された終わり方"ということです。

まあこれを音楽的だととらえるかどうかは聞き手側に委ねられる部分ですので、別に批判するつもりはまったくないです。
終わり方が終わり方ですのでビックリされた方もいるとは思います。こんな曲もあるんだよーくらいに思ってください。


また修正箇所などありましたら、その都度修正していきたいと思います。やってみてほしい歌詞などありましたら、言ってくださるとうれしいです。


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