猫の額ほどのベランダで転んでも泣かない子がみる皆既月食

今日は、24年ぶりのスーパームーンの皆既月食。
ということで私は今、小さな猫の額ほどのベランダでこの文章を書いています。肝心のお月様はというと、残念ながら今雲に隠れています。多分あの辺だろうなぁと察せるぐらい雲に明るい場所があるのでその辺だと思われる。風があるのできっと雲の流れもあるだろうな。なんとなく。
月や星は、よく他界した人に例えられる。『お月様やお星様になって見守ってるよ。』なぜ月や星なんだろう。きっと子供が寂しがるのが夜だからなんだろうな。

24年前何をしていたのだろう。私は、悩ましき学生だった。そしてなんとなく生きていた。時間はありあまるほどあるはずなのに皆既月食と満月が重なる天体ショーに全く覚えがない。私にとっての大事なことは、月の満ち欠けでも太陽と地球と月が直線上に並ぶことでもなく目の前にある自分の将来だったことを思い出して少し心があの頃の得体の知れない不安に傾いてしまった。

今日の昼間、高校時代の同級生に会った。
シングルマザーで3歳の子の子育て奮闘中。大好きなお友達。最近はっとしたことは、子供から『パパが欲しい』と言われた事なんだって。

彼女から、最近大切な友達が他界したという話を聞いた。お通夜とお葬式に行き、家に帰り子供の前で堂々と泣きはらしたらしい。その時、泣き続ける彼女をみて姉から『そんなに泣いたら娘がびっくりするよ』と言われて腹がたったと怒っていた。『私が泣くのをみて泣き虫だとか、弱いとか、びっくりだと思うよりハンカチを差し出せる子供に育って欲しいと思う。私は、泣く。』そう言い返したという話をしていた。背伸びせず等身大で子育てをしている彼女がとても素敵だなと思って彼女の好きなところがまた一つ増えてしまった。人には、人前で泣いて誰かにそれを聞いてもらわないと乗り越えられない悲しみがあると思う。

そして、人がこの世からいなくなる事という現実を突然身近な人で知るよりも、親が大切な人が他界した時に全力で悲しんでいるのを見ることは、何より大切な気がした。隣にいた人は、突然いなくなることがあり、その時自分の大切な人は、こんなにも悲しむんだということを朧げながらに知ることは、とてもいいことだな。



子供の頃よく転んでいた私は、いつしか転んでも泣かなくなった。『いい子いい子!強い子だね』そう言われるのが偉いんだと思っていた。

強くなるということは、
泣かないこと。
動じないこと。
我慢すること。

そう思いがちなんだけど実はそうじゃないよ。泣かないと鼻がツーンてして苦しいし、我慢してる時間が長くなるとただ自分が情けなくなる。

きっと強くなるとは、鈍感になることだ。

転んでも鈍感になれば痛みを感じない。でも自分自身に鈍感になる代わりに、きっと隣の人の気持ちにも鈍感になってしまう。
そうするときっと誰かの悲しいを誰かの苦しいを、そばでずっと聞いて、一緒に頷けなくなってしまう。友達のいう『泣いてる人がいたらハンカチを差し出す人』には、なれなくなるような気がした。きっと使い分けられる人もいるかもしれない。でも不器用な私には無理な気がした。不器用な二者択一……
『強い人になるよりも泣ける人になろう。』そう思った。

皆既月食って地球の周りの大気の関係で赤く見えるんだって。月も転んで血を流しているんだろうか?大きな声で泣いちゃえばいいよ。そんな事を思ったりした。なんとなく。


風のおかげで少し寒いけどだんだん月が見えてきた。赤くないけど。
次は、12年後なんだそうだ。
12年後私は、何をしているんだろうか。まだ会社勤めをしてるんだろうか。この世界的伝染病は、どうなっているのだろうか。
12年後もまた月を見上げながらnoteの更新をしてるはずだ。


#皆既月食 #強い #我慢 #エッセイ #子育て

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