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理不尽を自分のせいにしそうになった時はハワイの葬式に出るか考える

とあるポットキャストでの投稿をあまりにも気になって何度も聞いた。

投稿内容は、
『私は、一生懸命働きより良くしようとバイトの立場で頑張ってる。時には、上司と衝突しながらもお客様のため、会社のためだと思い嫌なことも言い続けてきた。なのに、本社から下の立場の人から上の立場の人へのパワハラなので態度を改めるように言われた。どうして私は正しい事をしているだけなのに、会社は私を責めるのだろう。私はどうやってこの気持ちに折り合いをつければいいのだろうか。』
という内容だった。

これをパーソナリティーは『よくわかるけどアソートの人気のお菓子』と表現した。もう素晴らしいね。

さてこの人気のお菓子、でもこの人気のお菓子を消費することで案外世の中は成り立ってたりもする。その話実は、私もこの人と同じ側なのでむっちゃ気持ちがわかったのだ。でそこと折り合いつけてるには、まず正しいことは世の中では正義ではないのだ。という事を理解することから始めなえればならない

正しいと正義の違い

よく例えられる話として平等と正義というのがある。
例えば、目の前に壁があったとする。その壁の奥では、サッカーの試合が行われている。
その壁の前に2人の人が立っている。
①壁よりも背が高く立っているだけでサッカーを見ることができる人
②壁より背が低く全くサッカーが出来ない人
これを見た時に②の人が可哀想だという人は、正義を振りかざす人なのだ。②の人に箱を用意するべきだ。それが『平等』だと権利を主張する。でも大体は、正義であり平等なんかではない。
では平等とは何か?見えない人も見える人もいる。それは仕方のないことなのだ。というのは平等なのだ。
この平等に??とならないようにもう1人の登場人物を加えるとわかりやすくなる。登場人物③である。
③②の人と同じ身長だけれどもどこかから箱を持ってきて自分の身長を補いサッカーを見る人。
③は努力して自分を①に近づけた。さて、②に箱を差し出すことは、本当に平等なのか?と考えるとそれが正義だとわかるのではないだろうか。②が可哀想という時点で、③の努力を否定することになる。なのに③を登場させないことで、②に箱を差し出すことを正義とする。
ここで使われる正義は、微妙に②を下に見てそこに手を出し自分自身の優越感を味わってる自己満足の気持ちが漂っている。『弱きを助ける俺様かっこいい』感がムンムンしている。

問題は、正義と平等ではなく②の人なのだ。

こう書くとまるで相談者さんがちょっと悪いよねみたいに見えるけど私が本当に伝えたいことは、そこではない。

問題は、大体②の人は何もしてないので最近むっちゃ主張するのだ。
『私可哀想。こんなの不平等。』
そしてこの人たちは、かなり面倒くさく何か反論すれば泣きはじめる。
『それはあなたの背が低いことが問題で努力している人もいるから』
といえば
『でも背が高い人は、何も努力してないのに不平等だ』
そしてあの人は、ひどい人だと喚き散らす
『③さんが努力して出来てるんだから』
というと
『私も努力してるのにうまくいかないだけだ。私の努力を否定するのか』
と喚き散らす。とにかく②の人は、『私は可哀想』と言い続けるのだ

実は地球には、とても大きな内緒事というのが何個かあって、そのうちの一つが
『可哀想は、最強』
可哀想には、努力も正義も正しいも悪も何も太刀打ちできないということなのだ。普通プライドがある人は、可哀想な人にはなりたがらないけれど世の中には一定数この可哀想を振りかざす人がいる。
ちなみにこの内緒事は他に
『努力は実らないことが多い』
『結局見た目は、大切な要素』
『社会はほぼ理不尽で成り立ってる』
などがあるけれどその話は、また別の機会に。

ということで②の人主張するぐらいなら努力しろっと思うけど、②は全く努力をしてないわけではない。努力の方向が、箱を作るではなく可哀想な私になるという方向に向いてるだけなのだ。
まぁこの手の人の周りには、被害者になりたくない人があつまる。だって②が可哀想な人ということは、②にターゲットにされると自分は限りなく加害者になる可能性が上がるのだから。
そしてみんな口を閉ざす。なぜならその魂胆を暴露したならば、必ず悪者になるのだから。世の中理不尽である。

理不尽と折り合いをつけるためにやっちゃだめな事

そんな、理不尽に立ち向かうために相談者さんがしては行けない事。それは、理不尽を受け入れるために自分に理由を見つける事である。
理不尽は、世の中にたくさんある。その理不尽を納得させるために自分に理由を見つけるということが一番やってはいけないことだ。
先日、私は自転車を盗まれてしまった。鍵をかけていなかったのだ。警察に行き被害届を出したところ
『鍵はかけてなかったのですか?』
と言われ何だか自分にも非がある様な気分になってしまった。
でもよく考えてみるとどう考えても盗む方が悪い。
『鍵をかけてないから自転車を盗まれるのだ』
ではなく、盗む人がいるから鍵をかけなければならなくなったのだから。そう思い直した。事実確認なだけだ。そう思った矢先に『今はツーロックを推奨しています』と言われた。そうか盗まれない努力を私もしなければならないなとも思った。だって自転車を盗む人がいる事を飲み込んだ上で世の中は成り立ってる。
これは痴漢をされた時に
『スカートを履いてるから痴漢似合うのだ』
というのと一緒だということに気づいているだろうか?
どう考えても痴漢をする人の方が悪いし、自転車を取る人の方が悪いのにと思うのだけれど。

少し話がそれしまったけれど、相談者さんは決してここ自分自身の悪いところを認めてしまってはいけない。だって自転車泥棒が悪いのだから。世の中は、色んな角度から物事を見ることができる人が苦労する。鍵をかけてない私が悪いと納得してしまうと、そこから先も同じ事を繰り返す。そうすると将来めんどくさい人になってしまう。多分相談者さんは、すでに残念ながら片足を突っ込んでしまってる。性格は、なかなか変わらない。人に期待もジュースもかけてはいけない。期待は、自分にかけるものだ。自分の希望を人に賭けるなんて、他人はそんな簡単に信じられないし、自分の思うようには動いてくれない。
正しいことを利用されてはいけない。それを利用することで世の中はどうにか成り立ってて、苦労をする人の努力は報われる事はない。消費されるのみなだ。割り切って消費されるのもひとつ。消費されることから抜け出すもひとつ。

なぜなら地球の内緒事。世の中は理不尽で成り立ってる

ハワイの葬式に参加しますか?

世の中は、理不尽であることを認めるとすごく楽になる。だって地球規模の内緒事なのだから。
認めるとどうでもよくなることが増えてくる。
そして大切にしたいものが見えてくる。
自分にとって大切な人や大切なことだけがその理不尽から守れれば、それでいいのだと思えてくる。そうすると、本当に大切な事以外をやり過ごせるようになる。
私は、この人のお葬式がハワイであっても行きたいかということを基準にその人が大切かどうかを考えている。案外ハワイまでお葬式に行きたい人は少ないものだ。
どうしても正義を貫きたいならまずは、可哀想になる努力をプラスすることだ。世間を味方につけて可哀想になって、立場を勝ち取り会社を変えていくぐらいの気合が必要なのだ。
そうでないのなら大切な人が喜ぶために努め、その人のために時間と頭を使っていこう。


さて相談者さんの全く知らない所で全く知らない私がただ勝手に考えて勝手に答えた。それもそのポットキャストでも言ってたけれど相談でもなく『辛いな〜』という愚痴なだけで答えを求められてもないことに頼まれてもないのに答えてしまったけれど・……

相談者さんは、決して悪くない。でも世の中には、相談者さんを陥れようとする理不尽という地球規模の内緒事があるのだ。

と伝えたい。

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