青信号に無自覚に甘えてないだろうか
青信号は「進む」。
スクランブル交差点で青信号になると一斉に人が道路に流れ出すのを見て思った。
誰も青信号のことを疑わない。疑う余地もなく感謝もなくただ「進む」。青であるということが理由なんだ。
誰かが青を「進む」だと思っていないかもしれないなんて疑いは、微塵もない。人々の圧倒的な思い込みの圧力によって青は存在する。
そうやって周りを見ると青信号の人はたくさんいた。
結婚したくない相手から大勢の人の前でプロポーズされ断れない人。レストランのシェフもギャルソンもそして今こうして拍手をしている周りの人たちも誰一人として彼女が断るなんて微塵も思ってない。告白している本人は、一体いつから彼女を青信号だと思ったのだろう。
彼女は、ただ一緒に何度か食事をしただけなのにこの場では、このプロポーズを断ることは許されない。断った時点で彼女は加害者になる。なぜなら彼女は、今青信号だから。
会社にも青信号の人はいる。仕事を断らず一生懸命する人がいる。結果を出しているのは、彼女の努力の証なのにいつしかそれは、青信号となってしまう。結果を出して当たり前。できるんだから断るなんて怠慢だ。そういう決めつけで青信号から選択の余地を奪っている。
『これよろしく』という言葉で赤信号の人には、言えない癖に一体何様なんだろうと思う。せめて「よろしくお願いします。」だし「君にしてもらわないと困るから……いつも甘えてごめんね」じゃないんだろうか。でも彼らにとってそれは、やって当たり前なのだ。なぜならその人が青信号だから。
青信号の人には、選択の余地がない。
青信号の周りの人は、青信号に甘えてそれを義務化してしまう。
言葉にするととてもひどい話だけれど青信号の人に無自覚に甘えるというのはそういうことなのだ
タチが悪いと思うのは、甘える事ではなく無自覚なことだ。
自覚があるほうがタチが悪いと思うだろうか?個人的には。無自覚ほど扱いづらいものはない。自覚がある人は、気付いて利用している。でも無自覚な人は、利用していることすらきづいてない。自分の心の中のことなのに……そして注意するとポカンとして自己弁解しかしないのだ。
私は青信号の人に無自覚に甘えてないだろうか?
青信号は、きっと私たちの近くにいる。本人も青信号であることに疑いなく周りも青信号であるだけでそれ以外何でもない。でも青信号の人は、気づかないふりをしてるだけできっと苦しいに違いない。いや気づいてしまうと青で無くなるのが怖くて気づかないふりをしてるだけかもしれない
だから周りに青信号の人がいたらせめてありがとうと言える人になりたい。いやその前に青信号に気づくことからはじめよう。周りを見渡して青信号がいないだろうか。無自覚に青信号の人に甘えるのはやめよう。